原子力発電の安全性についての政府や役人の説明は、信用することはできづらい

 東日本大震災で、原子力発電所の事故がおきた。放射能が外に出て、被害がおきた。その被害をあまりにも大げさに言うと、風評被害になりかねない。風評被害になってしまうのはまずいが、このことにおいて思いおこされるのは、戦時中に原子爆弾が投下されたさいの政府による国民への告げ知らせだ。

 戦時中に日本に原爆が投下されたときに、政府はその害を小さく見積もった。原爆の害を、やけどほどのものだと国民に告げ知らせた。じっさいにおきた害は、やけどですむものと見なすのはとんでもないことであって、とてつもない地獄のような被害がおきたことはまちがいない。それもそのはずで、原爆は地獄の兵器とされる。

 原爆が日本に落とされたあとに、敗戦となって、アメリカによる占領となったが、アメリカは日本を占領する中で、原爆の被害を隠ぺいした。自分たちが日本に原爆を落としたのだから、その被害をできるだけ小さいものにしたかったのだ。核兵器を開発するさいに都合が悪い。アメリカは原爆についての日本での報道を規制して、調査をさせないようにした。

 アメリカは、日本に原爆を落としたのに加えて、その被害を隠ぺいするという、二重の悪いことをしたし、日本の政府はそれに加担した(加担しつづけている)。世界で唯一の被爆国なのだから、世界から核兵器をなくしたり、少しでも軍備を縮小させたりする動きをとっていないのがおかしい。この点についてはほかにもさまざまな声があるかもしれないが。

 戦時中や戦後において見られる、原爆の被害についてを小さく見なすことは、原発の被害についてもまた当てはまらないだろうか。まったく同じことだと見なすのはまちがいだろうが、原発には安全神話がとられていたし、いまだに安全神話を復活させようというもくろみはなくなっていない。それには待ったをかけてみたい。

 放射能の危なさとして、人間の体にある肉や骨をかんたんに貫通してしまうことがあるという。放射能は骨を貫通してしまうので、骨の中にある骨髄の造血機能がやられてしまい、人体にいちじるしい害を与える。目であれば白内障などを引きおこし、さまざまながんにかかりやすくなる。安全神話への疑問符と放射能の害に気をつけて気をつけすぎることはないだろう。

 参照文献 『新版 一九四五年八月六日 ヒロシマは語りつづける』伊東壮(たけし)