自分が幸福または不幸であることと、自己責任ということと、過去の歴史によること

 いま幸せだ。それは何のおかげなのか。自分の努力というのはあるかもしれない。それにかぎらず、これまでの先人が築いてくれたものがあってのことだというのがある。過去の歴史によっているということだ。

 いま幸せではなく、不幸だとすると、それは自分の努力が足りないせいだと言われるかもしれない。自己責任による見なし方だ。自己責任というのは、自己功績と対のものとして見られるという。それにくわえて、自己責任が持ち出されるのは、それを持ち出す者が、自分に責任は無いということを言うために用いられることがあるという。

 いま不幸なのだとすると、それは自分のせいだとばかりは言えそうにない。自己責任だとばかりは言えない。過去の歴史にそのわけがあると見られる。過去の歴史の、とりわけ現在から近いものほど重要だという。そこからの流れによって、いまの自分があって、幸せまたは不幸になっているという見なし方が成り立つ。

 参照文献 『歴史という教養』片山杜秀 『日本の「運命」について語ろう』浅田次郎 (自己責任について)『「大岡裁き」の法意識 西洋法と日本人』青木人志