マヨネーズのようにもろいことが多い、いまの政権や与党による議論

 沖縄県辺野古に新しいアメリカ軍の基地を建てることがおし進められている。その辺野古の地盤は一説によるとマヨネーズのように軟弱な地盤なのだという。それでふと思いいたったのは、いまの政権や与党の議論だ。

 政権や与党の議論もまた、マヨネーズのように軟弱な土台をしていることが多い。軟弱な土台によっているために、言うことややることの説得性が薄くなる。いまの政権や与党は虚偽意識(イデオロギー)によっていて、それにくわえて不祥事を隠ぺいする集団と化している、と言ったら言いすぎになるだろうか。

 単相と多相ということで言うと、国の政治家は選挙で選ばれた国民の代表だというのは、ものごとの一面にしかすぎない。何らかの者を国民の代表である国の政治家として選んで、それで権力をになう者をとるのは、そうする必要があるためだ。

 国の政治家は国民の代表だというのは一面(単相)によるものであって、もう一面としては、権力をになう国の政治家が汚いことをやったりでたらめなことをやったりするのがあまりにも目にあまるのであれば、そこを批判することは欠かせない。清だけではなく濁もあるといったものだ。清と濁の二つは分かちがたい。いまの政権や与党は、清はあまりなくて濁によりすぎている気はするが。

 単相ではなく多相で見ることができるから、許容できる度合いというのはあるものの、あまりにもひどくて許容しがたいのであれば、そこで波風を立てないようにしてことを荒立てないようにするのは、ものによっては適したことだとは言えそうにない。

 テレビ番組のアナウンサーが、報道について、視聴者を安心させるので何が悪いのか、といったようなことを言っていた。視聴者を安心させるのはいけないというのではないかもしれないが、そうするだけなのであれば単相によるだけなのであって、不安や危険などの不確実さにきちんと目を向けるようにするのをうながすこともあることによって多相になるのではないだろうか。薬と毒の逆説というのがあって、薬(安心)は毒になりかねず、毒が薬になるといったことがある。安心ということであっても、そこに問題がまったくないとは言えそうにない。

 参照文献 『法律より怖い「会社の掟」』稲垣重雄 『失敗の研究 巨大組織が崩れるとき』金田信一郎 『ポリティカル・サイエンス事始め』伊藤光利編 (単相と多相については精神科医の辻悟氏による)『日本人を考える 司馬遼太郎対談集』 『現代思想を読む事典』今村仁司