いまの政権が引きおこした不正や疑惑によって生じた犠牲と、その犠牲によって保たれるいまの政権による秩序

 政権や省庁に、統計の不正の疑惑が投げかけられている。この疑惑において、統計を担当していた省庁の担当者は、すでに亡くなっているということが報じられていた。担当者はなぜ亡くなったのだろうか。そこが気になるところだ。

 いまの政権についての疑惑ということでは、森◯学園や加◯学園のことにおいて、そのことを担当していた省庁の役人が責任を押しつけられて、それを苦にして自殺してしまったのがある。

 統計の不正の疑惑において、担当者が亡くなったことは、どういったわけなのかはつまびらかではないから、想像の域を出るものではない。自然ではない形で担当者が亡くなったということであれば、人が犠牲となる形で秩序が保たれることをあらわす。そうまでしていまの政権を保ちつづけることにはたして値うちがあるのだろうか。犠牲が生まれたということは、不当に排除されたことであって、いまの政権による秩序に汚さや悪さやよごれやうみが溜まっていると見られる。