頭を下げてまで日本は隣国とつき合わなくてもよいのか

 そこまで考えなくてもよいことだ。べつに韓国と(日本が)頭を下げてまで仲よくする必要はない。向こうの立ち場を考える必要はない。韓国にあるものは日本に全部ある。韓国とつき合わなくても(自分は)何も困らない。テレビ番組の中でお笑い芸人の出演者はそう言っていた。

 この発言のすべてがまちがっているかは置いておくとして、向こう(韓国)の立ち場を考える必要はないというのと、韓国にあるものは日本に全部あるというのは、正しくはないのではないか。

 向こうの立ち場を考える必要はあるし、それを考えられたほうが日本にとって有益だ。日本は日本の立ち場しか考えられないのであれば見かたがせまくならざるをえない。日本という一つの立ち場だけではなく、視点を移動させて変えられたほうが理解は深まる。

 韓国にあるものは日本に全部あるということだが、そんなことはないだろう。韓国にあるものが日本に全部あるのなら、うり二つといったことになって、韓国と日本は取り替えがきく。日本が韓国であってもかまわないということになる。

 隣国と交易をしないというのはおかしいあり方であって、やり取りをし合って交流するほうが、そうしないよりはよいことだ。つき合わなくてよいというのは交流を断つということであるのなら、それによって日本に益になるとは言えそうにない。

 日本にたいして韓国が文句や批判を言ってくるとしても、その文句や批判がまったく当たっていないとはかぎらない。日本は韓国にたいして頭を下げてまでつき合う必要はないとするのではなく、必要があれば韓国に頭を下げて謝ったらどうだろうか。謝ったら死ぬというのではないのであれば、頭を下げて謝るのは有益だ。何でもかんでもそうせよというのではなく、もしそうする必要があるのであれば、部分的にでもそうできたほうが、日本は国として成長することが見こめる。

 参照文献 『知識ゼロからの謝り方入門』山口明雄