社会が相互作用によって悪くなるのを食い止めるようにするための手だて

 日本の国をよくする。そのさい、よくすることの逆に、悪くするのを見ることができる。よくするのは置いておけるとすると、悪くなるさいに、相互作用がはたらく。相互作用によって悪くなるのがある。

 相互作用によって悪くなっているのを改めるようにすることによって、日本の国がよくなることが見こめる。政治で言うと、与党と野党があるが、野党が駄目になると与党もまた駄目になりやすい。与党が野党をこけにして、野党が駄目になると、与党は競争の相手がいなくなるので、切磋琢磨が行なわれなくなる。

 社会の中でいうと、真ん中(中)は置いておけるとして、上と下のあいだに相互作用がはたらく。真ん中を置いておくのは、両極化がおきていて、真ん中が空洞化しているのがあるためだ。いまの日本の社会では、下に落ちてしまうと救われない。貧困の労働者(ワーキングプア)が多くおきてしまっているのだ。下の不安が、上にまで波及する。(万が一のさいには下に落ちかねないという)上の不安がおきる。

 資本主義と社会主義ということで言うと、いまは社会主義がほとんどなくなってしまったので、資本主義だけとなってしまっている。資本主義と社会主義が共にあったときには、相互作用がはたらいて、お互いを高め合うようなところがあった。社会主義がうまく行かずに駄目になって、資本主義が世界をおおうようになったことで、資本主義の悪いところに歯止めがかかりづらくなっている。

 社会主義が負けて、資本主義が勝ったと言えるのかというと、そうとは言い切れそうにない。そもそも純粋な資本主義は現実にはとられていない。たいていは、社会主義を組み入れた修正資本主義となっている。混合経済だ。

 資本主義が社会主義に勝ったのだとするのとはまたちがう見かたがとれる。共産主義よりも、社会民主主義(穏当な左派)のほうが優位となったという見かたがとれるという。純粋な資本主義がとられていた、資本主義がおきた初期のころには、底辺の労働者たちの多くが資本家などによって搾取されて犠牲になったとされるのは無視できないものだ。

 日本の国や社会をよくするさいに、さしあたってはよくするということは置いておけるとすると、悪くなってしまっていることを改めるようにする。そのさいに鍵になることの一つは社会的包摂ということにある。包摂ではなく排斥(社会的排除)になっているのは悪いことだから、これを改めるようにする。

 政治においては、包摂に加えて、与党と野党が互いに好敵手となるような競争が欠かせない。報道機関を含めて、反対勢力(オポジション)が十分に活動できることがいる。社会の中では、下に落ちてしまい、放ったらかしになっているのを、排斥するのではなく包摂して行くことが、ひいては上にもよい波及の効果をもたらす。見こみとしてはそれがのぞめる。

 参照文献 『ここがおかしい日本の社会保障山田昌弘 『日本の危機 私たちは何をしなければならないのか』正村公宏