くじらは日本の食文化といっても、そこまで需要が高いというのではなさそうだし、である(is)からであるべきだ(ought)を導く自然主義の誤びゅうになっているところがある

 日本政府は、国際捕鯨委員会(IWC)からの脱会を決めたという。日本の食の文化を守るために脱会を決めたというのが、理由に当たるのだろうか。

 日本の IWC からの脱会は、意思決定として見るとどうなのだろうか。この決定は、国会にはかられていないという。与党である自由民主党の議員が決めたことである。くじらの漁と関わる地域から出ている自民党の議員や、保守の議員からの声で脱会にいたったと見られる。

 IWC からの脱会は、外務省や水産庁はとくにのぞんではいなかったのだという。また、脱会を決めたことを受けて、そうするべきではなかったという声や、日本の動きにたいして海外から批判する声がおきているようだ。

 自民党の議員は、日本が IWC から脱会することを決めたが、こう決めたことは実質として正しいことだったのかは定かではない。実質として正しいことだったのかどうかが確かではないのは、決めるさいに、その過程において、さまざまな声をとり入れて、透明性のある中で行なわれたのではないためなのがある。

 どうするのかを決める過程において、透明性があるようにして、開かれた中でさまざまな声をとり入れるようにすれば、実質として正しく決めることに近づきやすい。IWC のことに限らず、いまの自民党の政権は、一方的なものごとの決め方になっていることが少なくないが、その悪い体質があらわれ出たものだと言える。