権力をになう政党に属する国の政治家が自分で言ったことについて、それが一部から批判されているのがあるので、危機管理をすることがいる(危機に対応することがいる)

 会見を開くつもりはない。性の少数者の人から殺害を予告するメールが来ていて、その中で会見を開くと、危ないからであるという。自由民主党の議員の事務所はそう言っているそうだ。

 性の少数者のことを生産性がないと言った自民党の議員は、性の少数者から殺害を予告するメールが来ているということで、それで申し開きの会見は行なわないとしている。

 身の危険があるということで、それを避けるのはよいのだけど、それとは別に、国の政治家であるのだから、自分が発言したことにまつわる危機管理をやってもらいたいものである。

 自民党の議員は、自分が雑誌の記事や動画などで発言をしたことで、一部から批判の声があがってきているのだから、そのことについての危機に対応をすることがいる。いまのところそれができていないと言わざるをえない。会見を開くつもりはないようだけど、会見を開くのであればそれは危機に対応する一つの行動である。

 性の少数者を生産性がないと自民党の議員がしたのは、まちがったことだというのは、一つの文脈としてはとれるものである。これがすべてであるわけではないかもしれないが、そうであるにしても、社会関係として、一方的にならないようにして、自説を強硬に押し通すだけにしないのがのぞましい。

 雑誌の記事や動画で自説を言ったのがあるわけだから、(物ではないけど)自説を製造したことにたいする一定の責任はあるだろう。国の政治家なのだから、一般の人より以上の責任があるのだと見なせる。自分が製造した自説に、自分の意図がまったく入りこんでいないとは見なしづらい。あらわされた自説と(言った者の)意図の二つがぴったりと合うとする文脈をとることができるのであり、あらわされた自説および意図についての説明責任(アカウンタビリティ)を果たすのがあるとよい。身の危険があるのだとすれば、その中で絶対に会見を開けとまでは言えないのはあるかもしれないが。