まちがったおかしなおきてが実習生に課されているようだ

 実習生に恋愛するのを禁じる。妊娠も禁じる。なぜ禁じるのかというと、生産能力が落ちるからなのだという。もし実習生が妊娠したとすると、強制的に帰国させたり中絶させたりすることがおきていると報じられている。

 外国人技能実習制度において、このようなことがおきているのは、法によってとられるべき労働者の権利がひどくないがしろになっていることによっている。

 いまの与党である自由民主党の国会議員は、国民の権利についてこう言っていた。国会議員いわく、権利、権利とやたらに権利をとり立てるのは、馬鹿ではないか。権利をとり立てることについて、馬鹿ではないかというふうに自民党の国会議員は言っていた。

 いかに権利というものが大事なのかを物語っているのが、外国人技能実習制度において一部の実習生がこうむっていることだと見られる。権利がないがしろになるとどういうことになるのかがここに示されている。労働において、使用者と(使用者に使われる)労働者は、力関係に差がおきやすいために、労働者が権利をとれないと悲惨なことになる。

 法が当てはめられずに、権利がとられないで、組織の中のまちがったおきてがとられてしまう。まちがったおきてとして、恋愛を禁じたり妊娠を禁じたりする。こうしたまちがったおきてがとられるのは、自立した個人として実習生を見ないで、使用者に都合のよいような関係的(非自立的)なものとして見なしているためだろう。

 日本では組織の中で個人が自立しづらく、関係的(非自立的)なものとされやすいと言われる。組織の中で同調の圧力がおきて、空気を読むのを強いられる。個人よりも集団が重んじられやすい。

 外国人技能実習制度における実習生を含めて、それに限られず、広く労働者において、組織の中でおかしなおきてがとられないようであるのがのぞましい。それを改めるようにして、変な要求を労働者(や実習生)にとらせないようにしたい。そのために、生産能力という効率ではなく、適正さをとるように改めないとならない。

 自民党の議員は、国民が権利、権利と言うのは馬鹿ではないか、と言っていたが、改めて見ると、馬鹿なのはいったいどちらなのか。労働者(や実習生)が十分な権利をとれず、不十分であることによって、世界にたいする恥さらしのような恥ずかしいおきてが日本の組織の中でとられてしまう。

 まちがったおかしなおきてがとられるのは民間の会社の組織に限ったことではない。いまの与党である自民党の組織の中や役人の組織である省庁(の一部)では数々の不祥事をおかしていて、それをごまかしている。日本の中で、上と下が、悪い形で相似形(フラクタル)になっている。上(与党や省庁)ほど甘くなって不正が見逃されている。ほんとうは上(与党や省庁)ほど厳しく見られないとならない。