潔さをよしとするのが武士のあり方の一つだろうけど、そうではなくて穏当に解決できる道をできるだけねばり強くさぐれたほうがよさそうだ

 日本は武士の国だ。中国が北朝鮮の脅威に適した対処をとらないのであれば、武士の国である日本が動くかもしれない。アメリカのドナルド・トランプ大統領は、そうした可能性をほのめかしている。インタビューの受け答えの中での発言である。

 日本を武士の国とするのは、時代錯誤(アナクロニズム)のとらえ方だと言わざるをえない。すでに日本には武士がいなくなって久しいのだから、それを今さら持ち出すのはふさわしいこととは言えないのがある。

 武士を持ち出すにしても、何らかの力をふるうために動くのであってはまずい。そうした動きでなく、言語による主張や対話であったり、または金銭での交流や助力であったりするのであればまだよさそうだ。

 いざとなれば自分が死ぬのもいとわないのが武士なのだろうから、そうしたふうになってしまうのだとやっかいだ。じっさいに国がそうするわけではないけど、切腹のようなことをしてしまうのは避けなければならない。自滅行為をしてしまうとすれば、それを思いとどまることがいる。

 力をふるうために動くのではなく、それをできるかぎり自制できたほうがよさそうだ。尚武(しょうぶ)の精神みたいなのがかつては大手を振るっていて、それによって戦争につき進んでしまったのが無視できそうにない。そうしたのを防ぐためには、武士のように、いざとなれば死すらもいとわないのではなく、将来の影を見すえるのがあればよい。武は物理によるわけだけど、それとは別に、文化(または経済交流など)による力であるソフト・パワーをなるべくとれたほうがよさそうだ。