2017-03-27から1日間の記事一覧

証拠の自然さ

証拠の自然さとははたして何だろうかという気がする。基本として、ほとんどの証拠は、でっち上げられている可能性を持っているのではないか。というのも、証拠というのは、たまたまそれが残されていたというだけであって、あらかじめ事件がおきることを前も…

忖度と和

忖度は、外国語に訳しづらい。なので外国の記者の人は、自国に日本のニュースを伝えるのに手こずっているらしい。そこで思ったのだけど、忖度は和(wa)としてしまえばよいのではないか。和の一種である。ただこれでは、たんに日本語を別の日本語に移し替えた…

問題の大小のちがい(図なのか、地なのか)

政策にたいする議論がまるでない。そうではなくて、政策がどうかについてをお互いに勝負するべきではないのか。それをないがしろにして、瑣末なことがらに目を向けて熱心になるようでは本末転倒だ。政策で議論して相手に勝てないから、あげ足とりのように、…

すべての行為は逃避である(とも言えるらしい)

逃げることは可能である。しかし、たとえ可能であっても、それがなかなかできないことがある。それはなぜなのかなというふうに案じてみると、一つには、精神分析学でいわれる上位自我(超自我)との関わりがありそうだ。上位自我が、ここは逃げるべきときでは…