時間があまりない中での政府の対応と、創造性―時間の資源の制約と最適な行動

 新型コロナウイルスへの感染に政府は対応を行なう。どう対応するのかの手だてを決める時間はかぎられている。必ずしも十分な時間はのぞめそうにない。

 十分に時間がとれないのは、創造性の MRS 理論でいうと、資源(リソース)のうちの時間が十分にないことを示す。

 資源の中で重要な位置づけにあるのが時間だが、時間の資源が限られているさいには、ほかのもので補う手を用いられる。

 時間の量の少なさや足りなさは質の低下をそのまま意味するものではないから、量と質を切り分けて見ることがなりたつ。量が多くても質が低いことがあるし、量が少なくても質が高いことがある。量も質も共に十分であることが理想ではあるが。

 時間の資源が限られているのであれば、時間ではないほかの資源を用いたり、動機づけ(モチベーション)や技術(スキル)によって埋め合わせるようにしたりする。ほかのもので埋め合わせることがまったくできないほどではないのなら、それなりに補うことができる。

 技術としては、時間の管理をする手がある。時間の管理をして、時間を無駄にしてしまう行動をなくして行く。行動に優先順位をつけるようにして、どの行動が(木でいうと)幹に当たって、どれが枝葉なのかを分けるようにして、枝葉のところはなるべく切って行く。幹となるところだけに時間をかけるようにすると時間をとりやすい。

 作家が原稿の締め切りがないと書く気がおきないとか、締め切りがあったほうが書く気がおきるとかいうことがあるそうだ。せっぱ詰まってぎりぎりにならないとやる気がおきてこない。これは時間の資源としては制約がかかっているが、それによってかえって動機づけが高まるのかもしれない。火事場の馬鹿力のようなことで動機づけや技術がふだんより以上に十全に活用されて、それによって時間の資源の制約を埋め合わせられることがある。

 時間の資源が限られているさいにおきかねないこととして、創造性が欠けてしまうことがある。個人の行動であればそれでもよいが、公共の政治のことがらではそうなってしまうのはまずい。時間の資源が限られているからといって、なおざりになってしまったりいい加減になってしまったりするのは避けられればよい。

 時間の資源が限られている中で、どれだけほかのもので埋め合わせをして補うことができるかや、それによってどれだけ創造性をもったことができるのかが試される。そこでものごとがなおざりやいい加減になってしまったり、創造性が欠けてしまったりするのであれば、結果への責任の点で政治としては失敗なのではないだろうか。きびしく見なすとすればそう見なすことがなりたつ。

 参照文献 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき)