きのうは東京都などでデモが行なわれていたようだ

 きのう、東京都などでデモが行なわれていたようだ。いまの政権にたいして反対の声をあげるデモだった。

 ツイッターのツイートでは、このデモにたいして、あまりよいものではないという見かたがとられていた。デモはレイシズムファシズムだ、というのである。たしかに、レイシズムファシズムの内容の主張をかかげるデモはありえるが、すべてのデモがそうだというのではないだろう。

 自分とは反対の主張をかかげるデモが行なわれていると、あまりよしとすることができない気持ちがおきてくるのは心情としてはわからないことではない。

 民主主義においては、デモつまり特別なことではなくて、デモつまりふつうのことだと言えるそうだ。デモが特別なことなのであればそれを行なうしきいは高いが、ふつうのことなのであればそのしきいは低い。

 個人としては、もっとたくさんデモが行なわれていてもよいのになというくらいだ。日本の社会は大人しすぎるようである。色々とおかしいことがたくさんあるように見うけられるので、それらに見あう形でデモが行なわれるのであれば、もっとたくさんのデモが色々に行なわれていることになるだろう。数だけたくさんやればよいというのではないだろうが(かえって効果が薄まってしまうかもしれない)。

 フランス語でデモというのは、とくに大きな覚悟を要するものというのではなくて、気軽に町中に出て行くといったくらいの意味あいをもつものなのだという。そうした気楽なものがデモなのだとすると、しきいを高くするのではなくて低くして、どんどん行なわれたほうが、民意がより示されるようになるかもしれない。公共として許されないような過激な内容のものであればまずいが。

 参照文献 『デモクラシー検定 民主主義ってなんだっけ?』石埼学