首相がテレビ番組で言っているのは、たんに年金などの財源が不足しているということだろう―利益分配と不利益分配(負担給付)

 人生一〇〇年時代だ。そうしたことから、年金を引き下げるようにする。七〇歳以上の人の医療費を上げて、もっと働いてもらう。首相はテレビ番組においてそう言っていたという。

 首相がテレビ番組で言っていたことからうかがえるのは、負担の給付や不利益の分配が避けられないことである。ひと昔前のような、利益政治で利益を分配することはもはやできなくなった。利益を大ばんぶるまいするような財源のゆとりがない。

 負担の給付や不利益の分配が避けられない中で、政治がやるべきなのは何なのかというと、しっかりと国民に向けて言葉によって説明をつくすことではないだろうか。説明責任をはたす。いまの首相にはそこが欠けていて、不十分になっている。

 いまの首相のようにではなくて、しっかりと言葉を用いて国民に向けて説明ができるような人が待ちのぞまれる。この点については、これとはまたちがった色々な意見があるだろうし、ちがった色々な視点がもてるのはあるだろうけど、国民におもねって大衆迎合主義のようになるのには個人としては反対なのがある。それが見受けられるのがいまの首相による政権だ。

 国民におもねるような大衆迎合主義ではなくて、きびしい現実にきちんと向き合うことがいるのではないだろうか。そうしないと、何となく現実をごまかすようになって、じっさいの現実から離れた虚偽意識と化す。それによるしっぺ返しがいつかやって来かねない。

 未来に楽観がもてたり、利益の分配ができたりするのであれば、それはそれでよいのだけど、それができない現実となっているのであれば、何となくということではなくて、国民のみなにわかるようにきちんと説明をつくすようにするべきだろう。それがいちじるしく欠けてしまっているのがあるから、それが改まるようになればよい。

 まちがいなくのぞましいあり方になると言えるような、打ち出の小づちのような手だてがあればよいが、そうした都合のよいものがあることはあまり見こみづらい。ことわざでは、おぼれる者はわらにもすがると言われるが、わらを頼りにしてすがってもしかたがない。わらにすがってしまえば当てが外れることになる。

 わらにすがるようにはならないようにして、たとえきびしい現実であったとしても、それと向き合うようにして、負担の給付や不利益の分配を行なって行くのが現実的だ。そのためには国民に向けて十分に説明ができる能力のある者が待ちのぞまれる。それが待ちのぞまれるとはいっても、その需要と供給が十分に見こめるとは言いがたいし、それしか道はないというのではないから、ほかによい手だてがもしあればそれはそれでよいのだが。

 参照文献 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『武器としての〈言葉政治〉 不利益分配時代の政治手法』高瀬淳一