日本だからまたは日本的だからよいとは言えそうにない―日本または日本的なことと、よいこととを分けて見たい

 日本だからよい。日本的だからよい。はたしてそう言えるのだろうか。

 場合分けをしてみると、日本だからよいとは言えず、よくないものもまたあるだろう。これまでやいまの日本のあり方で、よいものだけではなくてよくないものもまたある。日本的なものだからといってすべてがよいわけではない。

 よくないものであるのなら、日本だからといって、または日本的だからといって、改めて行ければよい。たとえ日本ではなかったり日本的ではなかったりするのであっても、よいものであるのならものによってはとり入れて行ければよい。

 日本だからとか日本的だからというのではなくて、よいものであればそれはのぞましい。中には日本だからとか日本的だからよいと言えるものはあるものの、それは一部に限られるものである。たまたま日本や日本的なのとよいのとが一致しているだけなのにすぎない。日本や日本的なのにも悪いものもまたあるのであって、すべてがよいというのではない。

 日本的なあり方というのは、色々なものを外からとり入れて行くものだとされる。色々なものを外からとりこんで行く。日本に固有のものというよりは(それもなくはないが)、外からとり入れて行くということが強い。外のものを日本化して行く。そうしたあり方を生かすようにして、よいものをとり入れるようにするのはどうだろうか。それは必ずしも反日売国ということではないだろう。日本にはもとからそうしたところがあるからである。

 参照文献 『実践ロジカル・シンキング入門 日本語論理トレーニング』野内良三(のうちりょうぞう) 『「ロンリ」の授業』NHK「ロンリのちから」制作班 野矢茂樹(のやしげき)監修 『不思議な国のクラシック 日本人のためのクラシック音楽入門』鈴木淳史