えらい人としてのお上(かみ)―お上のえらさは多くの事例によって反証(否定)できるし、えらくなさをかなりあかし立てできる

 天皇の次にえらい人なのが首相だ。一流ホテルの上にいる人間はそういうことを言ったという。天皇の次にえらい人なのが首相なので、首相のやることやなすことはすべてが正しい、といった認識を持っているのかもしれない。

 そもそも、改めて見れば、一番えらいとされている天皇が、とんでもないまちがいをしでかしたのを、過去の歴史を見れば知ることができる。

 かつて天皇は生きている神さまだとされて国民からあがめたてまつられていた。それで戦争につっ走って行ってしまったのだが、戦争に負けたあとになって、天皇は神さまではなくてただの人だということになった。

 天皇ですらまちがうのだし、ふつうの人と同じなのだから、その次にえらいとされる首相であっても、とくにふつうの人とは変わらないのではないだろうか。そういった首相にたいして、何かすごいものを持っているとか、すごくえらいとかと見なすのは、権威主義につながる見なし方だ。前近代に見られたような、お上をうやまうものと同じで、これはいまでも生きつづけている心性だ。

 天皇や首相というのは役割(ロール)であって、それは見なしによるものである。そう見なしているから、そうだとされているのであって、たとえば首相がとても愚かなのであれば、首相であるとはいっても、はだかの王さまの話で、はだかなのにはだかだとは言えないようなことになる。はだかなのをはだかだと言うのは、服を着ていると見なさなければはだかだということである。形式としては首相だとしても、はなはだしく愚かなのだとすれば実質としてははだかに等しい。

 えらいといえばそう言えるのはあるかもしれないが、えらくないところもある。えらいものだとしても、それをえらいと言うだけでは、そこにプラスの反対のマイナスの働きがおきかねない。(天皇陛下のことは置いておくとして)とりわけ首相にたいして、プラスだけで見るのはまちがいであって、マイナスのところをよく見なければならない。

 えらいのとえらくないのというのは、はっきりと分けられるとは言いづらく、客観の分け方とは言いがたい。えらいのとえらくないのとが混ざり合っているのが首相だと見られる。えらいことだけをする首相というのは考えづらく、えらくないことも少なからずしているはずだ。

 えらい人とえらくない人というのは、二つにはっきりと分けられるというのではなくて、ある人にえらい面があるのだとしても、えらくはない面もまたあるだろう。えらいだけの人というのは、その人のことを純粋化させすぎだ。人間というのはもっと不純なものだと見られる。白いところがあったとしても、黒いところもまたあるから、白いだけ(または黒いだけ)というのは虚偽となる。

 東洋の陰陽思想では、陰が極まれば陽に転じると言われている。陽が極まれば陰に転じる。それを当てはめてみると、すごくえらい人というのは、えらくないというのに転じることがある。上方に行きすぎると下方に転落することがある。つねに下方に落ちて行ってしまうおそれを抱えている。浮き沈みがあるのを避けづらい。

 じっさいの歴史において、戦前や戦時中は天皇が一番えらいとされていたが、その一番えらい人がまちがったことによって戦争につっ走って行ってしまったのがあるのだから、えらいとはいってもマイナスがないということにはならないし、マイナスがあることによって起きる被害はとても大きなものになる。危険性が大きい。

 首相というのは政治の時の権力者だが、権力者にうかつに近づけば、それによって利益を多く得られるのはあるかもしれないが、その反面でとても大きな危険性があるというのもまた無視できないのではないだろうか。適していないたとえかもしれないが、いわば強力な薬のようなものであって、その副作用として、毒に転化することがないではない。

 力を持っている者に近づいたりよしとしたりするのは、ハイリスク・ハイリターンといったようなところがある。そのさいに気をつけないとならないのは、いざというさいに引くことができるかとか、見切りをつけられているかとかである。そうしないと一蓮托生(いちれんたくしょう)みたいなことになって、道づれになってしまいかねないから、そうなると自分が損をするだけだ。

 危険性というのは分散させておくほうが無難だし、力を持っている者に近づいたりよしとしたりするのは、多くの人がそうしがちなことだから、そこに多くの利益が見こめるとはいっても、じっさいにほんとうに多くの利益があるのかは不確かだ。多くの利益というのは、多くの人がやらないところにこそあることが少なくないからである。

 参照文献 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『構造主義がよ~くわかる本』高田明典(あきのり) 『トランスモダンの作法』今村仁司他 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『近代天皇論 「神聖」か、「象徴」か』片山杜秀(もりひで) 島薗(しまぞの)進 『民主主義という不思議な仕組み』佐々木毅(たけし)