テレビ番組のホームドラマと現実(虚構と現実)

 テレビ番組のホームドラマでは、現実そのものがあらわされるのではない。これは何もホームドラマに限ったことではない。虚構ではないノン・フィクションであっても、ホームドラマと同じだ。現実そのものがあらわされているのではなく、多かれ少なかれ脚色されている。

 テレビのホームドラマでは、省略や誇張や飛躍や戯画(ぎが)化が用いられる。これらは嘘とはちがうものだ。ホームドラマを面白くするためにはなくてはならないものだから、これらをなくしてしまったら面白くないドラマになってしまう。作家の向田邦子氏は『女の人差し指』においてそう言っていた。

 いまの世の中では、さまざまな情報において、省略や誇張や飛躍や戯画化が好まれるようになっている。それらによっている情報のほうが好まれやすい。受けがよい。

 テレビのホームドラマでは、省略や誇張や飛躍や戯画化がとられることで、現実から離れたものになる。現実にはありえないものになるが、その代わりに面白くなる。視聴者は、ホームドラマにたいして、そんなことは現実にはありえないことではないか、と文句を言う。

 現実とホームドラマが、図と地の関係にあるとして、その図と地が反転することになって、現実が虚構のようになる。視聴者は、ホームドラマにたいして、そんなこと現実にはありえないではないか、と文句を言っていたのが、それとは逆に、現実にはありえないようなことが現実のこととして好まれるようになる。文句を言うのではなくて、逆に受け入れられる(歓迎される)のだ。

 昔よりもより退化したとは必ずしも言い切れないかもしれないが、現実と虚構の境い目が分かりづらくなっているのはあるかもしれない。大きな物語が成り立ちづらくなっている。

 ホームドラマで行なわれているように、現実の情報は、省略や誇張や飛躍や戯画化にまみれている、と言ってしまうと、やや誇張になってしまうのはある。玉と石が混ざっているが、中には正確な情報があるのはまちがいがない。現実をあらわすさいには、現実そのものからさし引かれて、次元や意味が縮む。複雑すぎてしまうのを避ける。テレビのホームドラマにそれが見られるように、現実をあらわす情報でもまたそれがとられる。