外交に強いというよりも、交渉に強いか弱いかのほうがより重要なのではないか(交渉に弱いのは、創造性や柔軟性がないのをあらわす)

 外交に強いというのは、交渉に強い。そう言えるだろう。日本の首相がアメリカの大統領に会いに行き、会談をする。日本の首相ははたして外交に強いのかどうかを見ることができる。外交に強いかどうかは、交渉に強いかどうかが関わってくる。

 外交を重んじるのであれば、交渉に弱いようであってはならない。外交に強くて交渉に弱いというのは考えづらいのだから、交渉に弱いと外交にいちじるしく不利である。日本とアメリカの今のあり方では、日本は弱い立ち場に立たされてしまっていると見ることができそうだ。アメリカにたいして日本は(これまで以上に)強く出ることができないようになってしまっている。

 日本の国内では、政権与党は一強として、一見すると強いように見うけられるが、じっさいにはそうとは言い切れそうにない。交渉として見ると、反対勢力を敵に回してしまっていて、いちじるしい不満をおこさせてしまっている。これは短期ではそれほどのことでもないが、中期や長期で見るとのぞましいことではない。反対勢力を敵に回してしまうと、中期や長期では自他ともに損になることが見こめる。一人勝ちというのは、中期や長期ではなかなかできないものである。

 危険さ(リスク)を分散(ヘッジ)できていないのがある。危険さを分散させるのは、一点に賭けるのではなくて、つり合いをとることである。危険さを分散させるのは、権力をもっている者がしなければならないことであるが、そうであるにもかかわらず、反対勢力にそれを丸投げしてしまっている。反対勢力に丸投げしてしまっているので、危険さを分散できていない。答えを一つにしてしまっていて、単数になってしまっている。単数ではなくて、複数にしなければ、色々と不利になってしまわざるをえない。