笑みの受けとり方は一義ではないのがあったようだ(多義性をもっている)

 友人である日本の首相と話をする。日本の首相はそのときにほほ笑んでいる。このほほ笑みは、ほくそ笑みであるのにまちがいない。長いあいだにわたり、日本がアメリカを貿易でまんまと出し抜くことができたことを、信じられないとしていることによる、してやったりの笑みだ。

 アメリカのドナルド・トランプ大統領は、こう述べたそうであり、貿易において長年にわたりアメリカは日本などに苦しめられてきたとしている。アメリカは貿易で赤字になってしまっているという。それを日本などのせいにしている。日本などに、これまでのようにはもう利用されないのだと、トランプ大統領は言っている。

 アメリカの首相と話をするさいに、日本の首相がほほ笑みをするのは、してやったりの笑みではないのはたしかだろう。現実には、アメリカを出し抜いているという笑みをしているわけではないわけだけど、トランプ大統領は、そうではない意味づけをしている。これは意図した意味づけであり、(悪い意味での)動機論による忖度だといえそうだ。

 日本はアメリカにたいして、好意を示す。結びつきを強めて仲よくしてゆこうとする。日本のこうした思わくを、アメリカは見すかす。見すかされてしまうと、日本としては困ったことになる。日本がアメリカを持ち上げてとり立てれば、アメリカは日本をよいようにしてくれるにちがいない。それはあくまでも希望的観測にすぎないものである。絶対にそうなるという保証はないものだろう。必然としてアメリカが日本をよいようにはからってくれるとは限らない。

 アメリカは日本と義理で結びついているのだとすると、その義理は温かいままではなくて、冷たくなってしまうことがある。日本としては、温かい義理であってほしいというのがあるとしても、それとは別に、アメリカは冷たい義理であると見なす。冷たい義理となると、アメリカは日本にたいして本音をぶちまけるということになる。温かい義理のときには建て前が通用していたのだとしても、冷たくなってしまうと、本音のほうが優位になる。

 日本としては、アメリカとの結びつきがずっと変わらずにつづいてくれるものとしたい。しかしアメリカはそうはさせじとする。日本とアメリカは、いままでの通りにしっかりと結びついたままのほうがよいとするのだとしても、それは日本の思わくであり、アメリカにはアメリカの意向があるのだろう。

 日本とアメリカの思わくが互いに一致するにちがいないというのは、一つの前提ではあるが、確かなものとはかぎらない。揺るぎないものとまでは言えないものである。それが明らかになることになった。何ごとにおいても揺らぎというのがあるのだから、揺らがないものはそうそうあるものではない。日本とアメリカとの思わくが一致することもあるし、一致しないこともあるとして、単眼によるのではなく複眼によることができていればよかったのだろう。

 日本としては、アメリカとの結びつきはそうそう揺らぐものではないとして、単眼になってしまっていたのがありそうだ。なぜ単眼になってしまっていたのかというと、一つには互酬性が関わっている。日本の国内では互酬性は通用しやすい。互酬性は、返報性によるものであり、こちらが相手に何か金銭などをかけてもてなしをすれば、相手はこちらにそう悪いことはしてこないだろう、とするものである。自他が一体化しやすい。

 互酬性による自他の一体化が通用しないこともある。ちがう互酬性の文脈をもちこむことになれば、自と他がくっつくのではなく分かれることになる。他を対象化することになる。アメリカは日本に一方的にやられるばかりであり、日本はそれをよいように利用している、なんていう文脈を持ち出されると、話がちがってくる。日本がもっている文脈にアメリカはそのまま乗っかるのではない。日本としては、日本の文脈にアメリカがうまく乗ってきてくれればよいとしていて、そう仕向けているとしても、それをアメリカが裏切ることもある。

 アメリカが絶対に正しいわけではなく、アメリカについて行くのがまちがいなく正しいわけでもない。日本は、アメリカが正しいとして、アメリカについて行くというただ一つの選択肢しかもっていないのだとすると、アメリカについて行くというただ一つの前提しかもてなくなる。ほかの選択肢を日本がもっていないのをアメリカに知られることになれば、そこにつけこまれてしまう。アメリカはまさか日本につけこんではこないとは言い切れないのがあり、(後出しじゃんけんではあるが)それが今回のトランプ大統領の発言と行動によって明るみに出たのだといえそうだ。