愛があるからということで、嫌がらせになってしまってはまずい(愛だけではなく、距離を保つということでの尊敬ももたないとならない)

 性的いやがらせと、力関係でのいやがらせがある。そこでは、権力や権威がかかわっていることがある。権力とは他を支配するものとしてはたらく。

 権力は他を支配するものとしてはたらくものだが、その支配が正しいものではないために受け入れられないのであれば、暴力へと転じる。暴力とは排除である。可傷性(バルネラビリティ)をもつ弱き者が悪玉化されたり被害をこうむったりする。力(might)と正義(right)とが分裂するようなことになる。

 権力や権威をもっているのだとしても、それを当然だとか必然だとかとしない。あくまでも偶有性によっているというふうに見なす。そうした心がけがあると、権力や権威を笠に着ていばってしまうのを減らすことにつなげるのが見こめる。立場を固定するのではなく、反転させられるようにする。

 権力や権威は、まちがった方向に向かうと、勢いに乗じたおどしとなることがあるという。こうしたふうにならないように気をつけないとならない。勢いというのは時間が経つことで変化して、消長(増減)するものである。形勢が変わることがある。これは、過大化と過小化の両極があるのをあらわす。この両極は、人間が過剰な活力をもっていることによっておきるものである。

 権力や権威は絶対のものではなく、ある一つの根拠によっているにすぎない。その根拠を絶対化するのはできづらい。完ぺきに基礎づけすることが困難なものだ。なのでごう慢(ヒュブリス)におちいらないように気をつけないとならない。できるだけ自分を相対化してゆくことがいる。そのようにできればさいわいだ。