天皇の権威は、男系の継承にその源があるとするのは、うのみにすることができづらい

 天皇の権威は、男系を継承することに源がある。大学の教授はそう言っているという。

 天皇の権威は、男系の継承を十分条件としてなりたつものなのだろうか。男系を継承していさえすれば、たとえどんなにおかしな人間性であったとしても天皇に権威があるというのには、うなずきづらい。

 男系を継承することと、天皇の権威とは、さして結びつくものではないのではないか。そもそも、男系の継承というのは、物語や神話によるものであって、絶対的な真理であるとは言いがたいものだろう。

 男系を継承することを源として、天皇に権威があるとするのは、まず源としての男系の継承ということに疑いを投げかけられる。源に疑わしさがある。源が疑わしいのだから、そこから来る天皇の権威にもまた疑わしさがある。

 天皇は現人神(あらひとがみ)として神聖化されるのではなくて、たんなる一人の人間であるのにすぎない。天皇制という枠組みにはめられることによって、人権が不当にうばわれてしまっているのもある。天皇制によって、天皇(天皇家の人々)は排除されてしまっているのだ。

 男系の継承ということで天皇に権威を見いだすのは、天皇を上方に排除しているのを示す。この上方への排除がふさわしいものなのかどうかには疑問符がつく。天皇は現人神ではなくてたんなる人間にすぎないのだから、あくまでもふつうの人と同じだというふうに見るのがふさわしいのがある。そこに、男系の継承ということではくをつけて、権威があるのだとするのには、個人的にはうなずけるものではない。

 参照文献 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司