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国の相性のよさ

 アメリカの大統領と日本の首相が、アメリカで会談をしている。一部の識者が言っていたように、アメリカのドナルド・トランプ大統領と、日本の安倍晋三首相は、相性がいいようである。じっさい、トランプ氏はツイッターのツイートで、日本の首相にたいする好意的な心情をもらしている。これは両国の関係において悪いことではないのだろう。

 よい印象が形づくられたことはけっこうなことだ。そうしたムードに水をさしてしまうようではあるが、あえて頂門の一針として言わせてもらうと、出会いの最初に明らかに親切にしてくる人は、逆に要注意でもある。なにか裏に魂胆をもっていることが少なくないからだ。そのため、あとになって態度を 180度ひるがえして、冷たく打って出てくることもある。

 最初はぜんぜん興味がなく、よい印象をもっていなかった相手が、何かのきっかけで途中から見えかたが変わり、よい人物として受け入れられるようになる。それによってお互いの仲がよくなるなんていうこともある。こうした展開のほうが、けっこう仲が長続きすることが多いのではないかという気がする。

 国どうしの関係に、一般の人との関係を当てはめるのは、的はずれなふうになってしまうところがあるかもしれない。そのうえで、あらためて見ると、国の代表どうしに相性があるというのもちょっと不思議なことである。人間くさいという気がする。国の代表というのは、その人物の言動を、国のものであると見なすということで、機関であるとされる。これは擬制(ロール・プレイ)である。憲法によって規定されているのだという。

 こうした代表のありかたというのは、何となく腑に落ちるような、腑に落ちないようなところがある。いまの時代、そうした代表に意見なんかが集約されるというよりは、むしろ拡散したり散逸したりするほうが大きいのもあるかもしれない。なので、代表とはいっても、求心性があるとはかぎらず、かえってその集団の一部分(または表面)しかくみ取っていないおそれがある。そうはいっても、代表というもの自体を頭から否定するのもまずい。そこは肯定主義におちいらないようにして、うまく批判してゆくことがいる。

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