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知の怠惰をあらためる

 知的な怠惰をなじる。ほんとうなら、もっとちゃんと頭を使って、何がよいのかを自分でふまえるべきである。しかしそれをしないで、いいかげんな説などに流されているのはのぞましいことではない。まちがいに自分で気がつくのが必要だ。

 知的に怠惰であるというのは、悪い評価が下されている。そうしたよくない評価を下すのは、もっぱら知的に勤勉な側の人がやることだろう。知にたいして労力を惜しまずに使っている人は価値が高く、逆にそうした労力を省いて横着する人は価値が低い。

 知的に勤勉な人は、情的に怠惰だという可能性もあるのかなという気がする。たとえば、誰か他の人にたいして、あいつは知的に怠惰だとなじるとする。そのさい、そのなじった人は情的に怠惰だといえはしないだろうか。知とはいっても、解はひとつとは限らないし、そこに情の要素がかかわってくる。とすれば、その情をおもんばかってみることもあってもよさそうだ。

 かりに知的に勤勉であるとしても、情とか意(意志)までが同じだとはかぎらない。この知と情と意の 3つがともに合わさっていれば、のぞましいのではないかという気がする。とりわけ知にだけ価値があるとは言い切れず、つねに上位にあるとはいえない。のこりの情や意の要素もまた無視できないくらいの重みをもつ。しかし、知でものを割り切ろうとするさいには、ともすると情や意は軽視されがちなところがあるかな。

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