消費税の減税で野党はまとまって共闘するべきなのかどうか

 消費税を減税する。それによって野党をまとめて共闘する。国民民主党玉木雄一郎代表はそれをかかげていた。

 消費税を減税することで野党はまとまって共闘するようにするのはよいことなのだろうか。これについてを、手段と目的とのつながりによって見てみたい。

 消費税を減税するのは手段で、野党が共闘するのは目的だ。目的を達するためにはさまざまな手段があるのだから、消費税を減税することだけが手段だとは言えず、ほかの手段を探るのがあってもよいのではないだろうか。

 空腹なさいに何かを食べるとして、空腹を満たすのが目的で、そのために何かを食べるのは手段だ。あんパンとカレーパンとメロンパンがあるとして、あんパンを食べるときにだけ空腹が満たされるのではないし、空腹が満たされたのであればあんパンを食べたことになるのでもない。あんパンではなくてもカレーパンでもよいのだしメロンパンでもよい。色々な手段がある。

 何が何でもあんパンでなければならないとしてしまうと、ほかの手段のほうがよりよいさいに、それを見落としてしまう。あんパンでなければならないというのがたんなる思いこみにすぎないさいに、その思いこみが強すぎると視野が狭窄してしまう。視野がせばまることになり、ほかのものが見えなくなる。

 あんパンだけしかないということだと、危険性が分散(リスクヘッジ)されなくなり、たった一つのものだけに賭けることになる。その賭けが当たればよいが、外れたさいには被害が大きい。安全性を高めるためには、危険性を分散させるようにして、たった一つのものだけに賭けるのではなくて、色々なものをとり上げるようにしたほうが無難だ。

 あんパンにたいして強い思い入れがあるのだとしても、それがよく見えるのは思い入れが強いことによっていることがある。思い入れが強いことから魅力があるように見えるだけにすぎないことがあるから、その思い入れをとり外してみると、じっさいにはたいしたことがないことがある。

 あんパンにたいしてだけとりわけ強い思い入れをもっても悪いことはないといえばないが、そのさいに気をつけることがいるのは、あんパンにたいする過大評価だ。消費税の減税でいうと、あたかもそれがとんでもなく効果のある政策だというふうに見なすのは、過大評価になっているおそれがあるのではないだろうか。

 手段にたいする適正な客観の評価づけをするのだとすると、そこまでの効果はないとか、そうたいしたものではないということがありえるから、薬でいうと偽薬(プラシーボ)効果のようなところを見ておくことはまったく無駄なことだとは言えそうにない。

 色々な手段があることをくみ入れられるとすると、あんパンだけがとくに過大評価されなくてもよいのがあり、カレーパンやメロンパンや焼きそばパンなどなどがあげられる。そうした色々なものがある中で、あんパンだけが飛び抜けてすぐれているとか抜きん出ているということが言えるのは、もしもほんとうにそうであればよいと言えばよいが、それがたんなる主観の評価づけだったさいには、あんパンにたいする幻想が崩れることがある。神話(ミュートス)が崩れる。

 色々なものがある中で、これしかないというものがあるのだとしても、それへの幻想が崩れる危険性はまったくないことではない。あんパンではなくてカレーパンやメロンパンのほうがよかったのだと思えることがおきてくることがまったくないのだと保証することはできないものだろう。あんパンではじっさいにはほんとうに心から満足することはできなかったということももしかするとありえるものだろう。ほんとうに心から満足することができるかどうかは、確実にそうだとは言いがたく、がい然性の域を出そうにない。

 参照文献 『正しく考えるために』岩崎武雄 『本当にわかる論理学』三浦俊彦