政治における引力と斥力(せきりょく)―どこと(何と)くっついて、どこと(何と)くっつかないようにするか

 政治において、引力と斥力があるとする。そのさいに、あんがい重要になってくるのが斥力だと言えるのがあるのではないだろうか。引力においては何と何がくっつくかだが、斥力においては何と何がくっつかないかだ。

 政策さえたがいに折り合うのであれば、極右ともくっつく。排外主義や自民族中心主義ともくっつく。歴史修正主義ともくっつく。それらといっしょになるのをいとわない。このあり方には危険さがつきまとう。

 何にたいして斥力をもつようにするのかが重要なのがある。政策がたがいにおり合うかどうかとは別にして、これは守るべきだという基本の価値をないがしろにしたりふみにじったりするようなところとは一線を引く。自由主義立憲主義を重んじないようなところとはくっつかないようにして、斥力をはたらかせる。

 政策さえたがいに折り合うのであればということで、たとえば消費税の減税や反緊縮の政策でたがいに折り合えれば、極右ともくっつくし、排外主義や自民族中心主義ともくっつくし、歴史修正主義ともくっつくということだと、あれもこれもといったごちゃ混ぜの悪い相対主義のあり方になってしまう。悪い形の引力のはたらかせ方があるから、そうはならないようにして、斥力をはたらかせるべきところはしっかりとそれをはたらかせるようにしたほうが少しは安全だ。

 参照文献 『暮らしの哲学』池田晶子(あきこ) 「二律背反に耐える思想 あれかこれかでもなく、あれもこれもでもなく」(「思想」No.九九八 二〇〇七年六月号) 今村仁司