首相のマスク姿の絵がえがかれた―記号表現としての絵の受けとり方

 首相がマスクをしている似顔絵を漫画家がえがく。その絵が批判を受けていた。首相のことを悪くえがいているというのである。

 首相は新型コロナウイルスへの対策として、一つの世帯に二枚の布マスクを配ることを決めた。この策への批判が一部から上がっていて、首相のマスク姿の絵はその意味あいもふくむものだろう。

 絵を見て、首相のことを悪く描いていると見なすのは、絵にたいしてそうした意味づけをしていることによる。

 絵がまったくの写実であるのなら、首相のことを悪く描いているとは見なされづらい。基本としてはそうだが、もしも見せたくはない現実があるとすれば、それを表にあらわにすることをとがめられることはある。

 絵がまったくの写実であるのなら現実と絵とが類似していることをあらわす。まったくの写実であるとは言えず、多少の加工をほどこしているのなら、現実から少しは変容していることになる。現実と相似していることになる。

 写実の絵は本格だが、相似の絵は破格となる。破格としてこっけいなふうに描くと現実のパロディになる。パロディのほうがより現実を映し出していることはなくはない。

 現実を引き写したような写実の絵と、相似の絵があるとして、それらの絵は一つの記号表現だ。それがさし示す記号内容がある。記号表現についてをどのように見なして受けとるのかは、それぞれの受けとる人によってちがってくるのがある。一つだけではなくて色々な解釈や文脈を許すのであれば、開かれているものだと言えるだろう。

 参照文献 『ほんとうの構造主義 言語・権力・主体』出口顯(あきら) 『パロディの精神』富士正晴