お上の説明と、上部構造と下部構造

 新型コロナウイルスへの感染に対応するために、お上が国民に説明する。会見が開かれて説明が行なわれるが、その中で、お上が精神論や(悪い意味で)文学的なことを言うのがある。

 国民の不安をとり除いてはげますことにつながればよいのはあるが、何かを隠すためだったりごまかすためだったりするために、うわべをとりつくろうだけのことを言うのであれば、巧言令色すくなし仁ということで、あまり心には響いてきづらい。

 精神論や文学的なことを言うのは、上部構造に当たる。それを下で支えることになる具体の物質の救いとなる下部構造はどれくらいあるのかがないがしろにできない点だ。

 上部構造に当たるものでは、意味のある理念を語るのであればまだよい。人間主義人道主義にもとづくものならあってよいものだけど、そうではないような国家主義からくる精神論や文学的なことを言うのなら、必ずしもいるものではないから、不要不急に当たることかもしれない。

 ことわざでいう花より団子ではないが、団子がなくて見せかけのあまり意味のない気休めになるだけの花だけを言われても、上部構造にとどまっているから、下部構造はどうなのかがある。そこを精神論や文学的なことでごまかすようだと、核となるところが見えてきづらい。

 お上が言っていることのすじ道が通っているかを、下部構造に当たるものとして見なすこともできる。すじ道が通っていることを言っていなかったり、それ以前から政治において権力者の嘘が平気でまかり通っていたりするのであれば、下部構造を欠いた上部構造だけのものになる。上部構造だけなのであれば、人々に訴えかける修辞の効果をもたないことになる。多くの国民の心には響かず、不安感は払しょくされづらい。