野党の議員と首相との比較―どちらが優で、どちらが劣か

 政治の能力や政治の経験が浅いのが野党の議員だ。そうした野党の議員にたいしてはそこまでしっかりととりあわなくてもよい。首相にはできるだけもっとゆっくりと政治にとり組んでもらいたい。与党である自由民主党の議員はそうしたことを言っていた。

 たしかに、首相はわりあいに(それなり以上に)長い政治の経験があるから、新米の出たての人とはちがう。また、とんでもなく能力がなくて、まったく箸にも棒にもかからないような人だと、首相にまではなれないだろうから、いちおう政治の上の職にたずさわれるくらいの能力はあるのだろう。その能力というのは、もっぱら特定の人との人づき合いや人当たりのよさのような気がしないでもないが。

 社会心理学者の山岸俊男氏によると、関係性検知能力と信頼性検知能力というのがあるとされる。このうちで、もっぱら首相は関係性検知能力を主としているのだと見なせる。上下の関係によっていたり、空気を読んだり読ませたり忖度させたりといったことによる。その反面で、信頼性検知能力が高いかどうかには疑問符がつく。一般的な信頼にもとづく社会を築こうとしているようにはあまり見えない。

 与党の政治家のいっていることで疑問なのは、野党の議員にたいする性格づけだ。かりに野党の議員が、政治の能力や政治の経験が浅いのだとしても、それを下回ってしまっているのが首相や政権のありさまなのではないだろうか。それを上回れていないところが目だつ。野党の議員の質問に、まともに答えられていないことが少なくない。野党の議員が大したことがないのであれば、大した質問はできないのだから、それにたいして(それくらいはせめて)できるだけまともに答えられることがいる。きびしくいえば、それすらもできていないのが現状だろう。

 首相の政治の能力というのは、そこまで高いものなのかが疑問である。かなり上げ底にされているように見うけられる。その上げ底にされているのをさし引いてみると、そうたいしたものではないのではないだろうか。首相が優秀だという根拠がもうひとつわからない。その点については、首相についてだけではなくて、日本の政治で行なわれていることに関して、まともな評価づけがあまりきちんとは行なわれていない。評価づけが避けられている。あまり(自分のことを棚に上げて)人のことはとやかくは言えないのだが、とんちんかんな評価になっていることもあるだろう。そこについては、最低限の政治の権力との距離感はとっておきたい。

 参照文献 『働く大人の教養課程』岡田憲治(けんじ) 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一 『安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方』山岸俊男