思想と行動と効用―効用(得点)の増減

 かたよった思想のブログで、日本の国をよくするために、日本にいる朝鮮などの人を悪玉化して排斥することが言われていた。その朝鮮の人たちを助けたということで、それに関わった弁護士を辞めさせようとした。それでブログと弁護士とのあいだで裁判になって、ブログは劣勢になっている。

 どんなことをやるのも自由だから、自己決定や愚行をなすことの権利がある。自己決定権や愚行権だ。他者に危害を加えるのでないかぎりは何をやっても自由なのが自由主義だから、何をやってもよいのはあるけど、改めてみると、何かをやることでかえってよくないことになることがあるから気をつけないとならない。

 何かをやることでよくないことになるくらいなら、何もやらないほうがむしろよかった。何もやらなければ、よくないことがおこることはなかったし、損をすることになることもなかった。必ずしもやらなくてもよいことをあとでやらざるをえないはめになることはなかった。

 はじめに五〇くらいの自分の手持ちの得点があるとして、それが足りないというのであれば、少しずつ増やして行くようにして、六〇や七〇とか一〇〇とかになれば成功だ。そうではなくて、増やそうとしたところが、かえって減ってしまう。四〇や三〇やもっとひどければマイナス三〇とかになってしまう。それは得点を増やすねらいとしては失敗だろう。

 得点が減ってしまうくらいであれば、もともとの五〇のままで何もしないほうがよかった。何かをやるにしても、得点が大きく増えたり減ったりするようなこととはあまり関わらないようなことをするほうが無難である。何か意味や意義のあることをするさいはまた別である。

 一人ではなくてみんなに関わることでは、戦争に敗戦したすぐあとは、日本という国の得点がとんでもなくマイナスになったことになる。そのとんでもないマイナスは、すべてが意味のあるものではないし、すべてを合理化できるものではない。中には非合理なものを含む。避けようと思えば避けられたが、お上の勝手な都合によって犠牲を生んだ。

 人がなす行動の中には、得点を増やそうとしたところがかえって減ってしまうことがあるから、それに気をつけたいものだ。結果としてかえって得点が減ることになるとすると、とくに意味もなくそうなるくらいであれば、まだ得点をもとのままにとどめておいたほうが無難である。自分だけならまだしも、巻きこむ形で他の人の得点まで減らしてしまうとまずいから、そこにも気をつけたい。

 結果として自分の得点が不毛な形で減ってしまうのであれば、まだしももとの得点のままに保っていたほうがよい。とくに意味もなくいたずらに自分が損をしてしまうのはつまらない。それがつまらないことなのは、とくに何もしていなければ(またはさしさわりのないことをしていれば)そうはならなかっただろうからである。

 色々な価値観があるのだから、一方的にこうだと決めつけてしまってはいけないが、消極的な姿勢ではあるものの、かたよった思想によって行動をしてしまい、つまらないことになるのには注意したい。かたよった思想や行動という点では、人のことはあまり言えないのは確かだ。

 自分の得点つまり効用が、意味もなくいたずらに大きく減ってしまうとつまらないから、そうはならないようにしたい。これは幸福主義つまり自分の得点についてを見たものだから、そのほかの色々な見なし方もまたなりたつ。

 幸福主義は、哲学者のアリストテレスが言ったとされるもので、自分が幸福を達することをよしとするものだという。いついかなるさいにもそれが正しいとは言えないが、ときには(状況によっては)幸福主義をとるようにして、自分の幸福を優先させてみることは悪いことではないだろう。自分よりも社会のほうが正しいとは限らないことがあるので。たとえば殺されるまで働かされることなどがある。

 参照文献 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『現代倫理学入門』加藤尚武倫理学を学ぶ人のために』宇都宮芳明(よしあき) 熊野純彦(くまのすみひこ)編