面白さと役に立つかどうか―二値と多値

 面白いか、面白くないかがある。それと、役に立つか、立たないかがある。

 この二つについて、二値と多値によって見ることができる。

 二値であれば二分法になるので、面白いかどうかであれば、面白いかもしくは面白くないかのどちらかになる。役に立つかどうかなら、役に立つかもしくは立たないかのどちらかになる。

 多値であれば、二分法ではないから、一か〇かや白か黒かではなくて灰色になる。ていどのちがいにすぎない。

 二値であれば、明らかにこうだということになるが、多値であれば、まあまあとかそこそことかほどほどといったことになる。

 二値によって、明らかにこうだと言えるのはあまり多くはないだろう。ほとんどのものは多値によるものだとすると、ていどのちがいにすぎないのだし、とらえようによって変わってくることがあるし、切り口(見せ方)がどうかということでもまた少しはちがってくるものだろう。

 二値によって、明らかにこうだと言えるものであっても、多値によってていどのちがいによるものであっても、送り手ではなくて受け手がどう受けとるかというのが関わってくる。受け手が意味づけをしていることによっている。客観にというよりは、少なからず主観によっているのだ。

 ことわざでは、ぶたに真珠とか猫に小判とか馬の耳に念仏と言われるのがある。真珠や小判や念仏はどれも価値があるとされるものだが、それを受けとる人がどうかということで、価値があったりなかったりすることになって、自動的には決まらない。ことわざでは人ではなくて動物ではあるけど、受けとる人がどうかとか、どういうふうに受けとるのかということはけっこう小さくはないのがあるから、そこをくみ入れることがいる。

 参照文献 『日本語作文術 伝わる文章を書くために』野内良三(のうちりょうぞう)