桜を見る会は、これから先に会を開くのを中止する(または見直しをする)だけでよいのか―何が悪いもとになっていたのかを、残されたさまざまな行動の痕跡(こんせき)をもとにして探って行くべきだ

 桜を見る会は、いまの時の政権だけではなくて、いぜんの政権でも行なわれていた。旧民主党の政権のときにも行なわれていた。この会は、そもそもとくにやらなくてもよいものだから、会のおかしさをうんぬんするのではなくて、これから先に中止すればよい。そう言われていた。

 会のおかしさについてや、会の行ない方のおかしさについてを見て行くのではなくて、たんにこれから先に会をやるのを中止すればそれでこと足りるのだろうか。

 これから先に会を中止するようにするのだけでは、やるべきことについて、必要十分条件だとは言えないのではないだろうか。これから先に会を開くのを中止するようにするのは、必要なことではあるかもしれないが、それだけでは十分だとは言えそうにない。

 これから先に会を開くのを中止するようにするにせよ、またはそうせずに、(いまの与党である自由民主党の議員が言っているように)会そのものはつづけるが、会のやり方の見直しや、会にまねく人の選び方を見直すにせよ、いずれにしても、やらなければいけないことは、体系的な要因の分析だ。

 いまの時の政権が行なってきた会のやり方にまずいところがあったのであれば、それのどこが悪かったのかや、なぜ悪かったのかや、なぜよくないことが行なわれたのかを見て行かないとならない。それを見て行って、主となる要因を特定して行くことがいる。そうしなければ、悪いことやまずいことが起きるのをこれから先に防ぐことができづらい。

 いまの情報化の時代には、色々な行動の痕跡(こんせき)があとに残る。残っている痕跡はさまざまにある。いま会のことがとり沙汰されることになったので、あわてて消去されている動きもある。これは否定的な痕跡の隠ぺいや抹消だ。たくさん痕跡があとに残っていれば、完全には隠ぺいや抹消をし切れないものかもしれない。

 手つづきとして見て行けるとすれば、その順序としては、民間のトヨタ自動車で行なわれているように、なぜなぜというふうに問いかけをして行って、まずいことのもとがどこにあったのかということを探って行く。それで主となる要因を見つけて行く。それをやることが肝心であって、順序としてはまずやることがいることだ。

 主となる要因を探って行ったあとに、見つけた要因をふまえながら、それをもとにして、会を中止するなり見直しをするなりの手を打つ。そういう流れにしたほうが有効なのではないだろうか。いきなり中止や見直しをするのではなくて、その前にしっかりと要因を分析する手つづきをふんで、それからどうするのかを決めたほうが、表面的な現象にではなくてもとをふまえた手が打ちやすい。どのようにするべきなのか(どういう手を打つべきなのか)というのは、どこに問題の所在があるのかということと関係していて、そこから導かれるのがある。

 参照文献 『この国の失敗の本質』柳田邦男 『トヨタ式「スピード問題解決」』若松義人 『考える技術』大前研一 『ぎりぎり合格への論文マニュアル』山内志朗(やまうちしろう)