英霊の表象(リプレゼンテーション)―直接の現前であるプレゼンテーションと、再現前化であるリプレゼンテーション

 われわれの平和と自由は、ご英霊の方々のおかげだ。ご英霊がのぞんだ日本にして行かなくてはならない。

 祖国である日本のために命をささげた英霊に感謝することは、道義大国であるためにいることだ。

 自由民主党の政治家は、ツイッターのツイートにおいてそうしたことを言っていた。

 自民党の政治家は、英霊ということを持ち出しているが、そこで言われている英霊というものは、自明であるものだとは言い切れそうにない。英霊という記号表現(シニフィアン)によって、いったいどういった記号内容(シニフィエ)が示されているのかを、改めて見ることがいる。

 英霊という語が暗に示すものとして、そこによい価値づけをするのは、必ずしも適したものだとは言えそうにない。というのも、戦争において英霊が犠牲になったのだとして、それは戦争そのものや、英霊となった人たちが、呪われた部分であることを見なければならないからだ。呪われた部分であることから、それはたやすい合理化をこばむ。たとえば国(祖国)といった限定された有用性の回路からは外れていて、そこには回収することができない。

 英霊とはじっさいには一人ひとりが実存だったということが言えるだろう。英霊という本質によってまとめ上げて束ねてしまうのではなく、一人ひとりの具体の実存をできるだけ見て行かなければならないものだろう。

 英霊ということで上方に排除するのではなくて、戦争によって実存が下方に排除されることになったというところを見ることがいる。実存が下方に排除されたということは、国が大きな失敗をしでかしたということだ。その大きな失敗を再びくり返さないようにすることが大事ではないだろうか。そのためには、風化させるのではなくてくり返し想起させるようにして、負の痕跡を光らせることをすることがいる。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司