言葉と形式(外見)の化粧

 言葉は化粧をする。國弘正雄氏はそう言う。言葉は嘘をついたり、言い換えたりすることになるから、気をつけることがいる。

 言葉だけではなくて、外見や見た目もまた、化粧をするのではないだろうか。外見や見た目は形式だ。うわべの形式は、中身や内実や実質をかならずしも保証するものではない。

 いまの政治では、言葉の化粧や形式(外見)の化粧が多くほどこされてしまっているのではないだろうか。これらによって、疑似環境を見させられることになる。ほんとうのありさまとはまたちがうものである。

 言葉の化粧としては、カタリ(騙り)や修辞が用いられている。形式(外見)の化粧としては、さも立派や頼もしいように映るように見せかけるのがある。それらのカタリや修辞や見た目の立派さが、あたかも自然であるかのような神話作用がはたらく。何から何まで一〇〇パーセントの嘘だとまでは言えない(言いすぎ)としても、現実主義がないがしろになっているおそれはある。

 参照文献 『徹底追及 「言葉狩り」と差別』週刊文春 『知的複眼思考法』苅谷剛彦(かりやたけひこ)