芸能人の政治の発言よりも、権力に近い政治家や一部の役人のどうしようもない発言のほうがよほど問題だ

 直接に政治に影響するのは怖い。テレビ番組で活躍する芸能人が、政治の発言をすると、多くの人を動かすことになるから怖いのだという。そう言われてみると、そういう気がしてこないでもない。

 芸能人が政治の発言をすることが怖いというよりも、むしろ大衆社会であることに怖さのもとがあるのではないだろうか。大衆社会では、大手報道機関の報道や著名な人の発言に大衆が流されてしまいやすい。そこに危なさがある。

 芸能人が政治の発言をして、それで多くの人を動かすような影響があったとしても、だからといって必ずしも悪いということにはならないだろう。悪く動かすだけではなくて、よく動かすこともあるからだ。結果論として見れば、よく動かすことができたり、悪く動かしたのではなかったりするのであれば、とくに悪いことではないだろう。

 場合分けをしてみると、芸能人と非芸能人(一般人)のうちで、芸能人には影響力の強い人とそうではない人がいる。芸能人だからといってみんなが売れているのではなく、みんなが影響力が高いとは言えそうにない。一般人においては、みんなが影響力が低いのではなく、影響力の高い一般人もいる。影響力の低い芸能人よりも、影響力の高い一般人のほうが力を持っている。芸能人といってもさまざまで、一般人もまたそうなのだから、芸能人だからということで政治の発言に抑えをきかせるのはそこまでふさわしくはない。

 芸能人だからといっても、テレビ番組の中で政治の発言を一切しないのではなく、することはあるものだろう。政治や社会の話題をあつかうときには政治や社会の発言をすることがある。そうしてみると、とくにある例においてだけ、芸能人が政治の発言をしたから駄目だとかおかしいとするのは、不公平に決まりが当てはめられてしまっている。

 芸能人は影響力をもっているのだから、政治の発言はさし控えるべきだというのなら、テレビ番組の中で政治や社会のことがらをとり上げることができなくなってしまう。芸能人の中に、文化人やコメンテーターも含まれるともできるから、どこまでの人を芸能人とするのかの線引きは難しい。ある人には政治の発言が許されて、別の人には許されないというのは公平とは言いがたい。

 芸能人が政治のことを発言するのにはさしさわりがあるのだと言っても、その発言の中身を見てみれば、いまの与党の要職につく政治家や、省庁の一部の高級な役人よりも、よほどよいことを言っていることがある。中身からすれば、いまの与党の要職につく政治家や、一部の高級な役人は、発言に中身がないばかりか、有害ですらある。嘘やでたらめがまかり通っているのだ。こちらのほうがよほど見すごすことができない重大なことがらだ。

 芸能人は影響力を持つから、政治のことがらを言うのはなるべく控えるようにするべきだというのは、前提条件としてそこまで正しいものであるとは言いがたい。かりに原則としてはそうであったとしても、それに例外はあってよいものだろう。

 これはということに関しては、言わないよりも、言うことの方により値うちがあることが中にはある。言わないで黙っていることは賛成だと受けとられかねない。言わないのがかえって悪いということがある。これはということに関して、どう思うかの自由(思想の自由)はあるし、それを言う自由(表現の自由)がまったくないとは言えそうにない。そういう必要性が高いときには、許容されてよいのではないだろうか。欲を言えば、政治や社会のことがらの発言についてもっと寛容であってもよいだろう。