アメリカのドナルド・トランプ大統領のウェブのいろいろなアカウントが停止されていることと、言論や表現の自由

 ツイッター社はアメリカのドナルド・トランプ大統領のツイッターのアカウントを永久に凍結した。ツイッター社だけではなくてその他のウェブのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)もトランプ大統領のアカウントを停止させている。

 SNSトランプ大統領のアカウントが停止されることは、言論や表現の自由の点からいってふさわしくないことなのだろうか。たしかに、言論や表現の自由はとても大事なものだから、それが最大限に重んじられることがいるものだろう。それはあるものの、あらためて見てみると、そもそもの話として、トランプ大統領SNS との結びつきがあまりにも強すぎることにまずさがあるのではないだろうか。

 いっけんすると、トランプ大統領SNS でいろいろな発言をすることはさも当たり前でごく当然のことであるかのようだ。いっけんするとそれは自明性があることのようではある。そこをあらためて見てみるようにして、異化してみたい。権力をもつ政治家が SNS でいろいろな発言をすることは、まちがいなくすべての国民にとって益になっているとは言い切れそうにない。

 権力をもつ政治家が SNS で気軽にいろいろな発言をすると、修辞学でいわれる人にうったえる議論になってしまいやすい。言っていることの内容ではなくて、どういう人が言っているのかの人のところが重みをもつ。トランプ大統領が言っていることだから正しいのだろうと受けとられてしまう。トランプ大統領が言っていることなのだから正しいことなのにちがいないとされてしまう。

 有名でたくさんの人からフォローされていると SNS の中で力を持つことができる。SNS の中でたくさんのフォロワーを抱えることで力を持ち、さらに現実の政治において権力を持っているのがあるから、政治家が力を持ちすぎてしまう。力を持ちすぎることで政治家がもつ自己欺まんの自尊心(vain glory)が肥大化しすぎることになる。権力をもつ政治家が SNS で発言をすると、たとえとるに足りないことを言ったとしてもそこにたくさんのいいねがつく。大したことがない内容や中身のことを政治家が言っても、ただたんに何かを言うことだけでもそれなり以上の効果がおきてくる。

 力を持ちすぎてしまうことがおきるから、権力をもつ政治家が SNS で発言をすることは使い方によってはわざわいすることがあり、必ずしもさいわいするとはかぎらない。使い方しだいのところはあるだろうが、権力をもつ政治家において SNS がどのような使われ方をされているのかを見られるとすれば、そう大した内容をもっていないことがめずらしくないのではないだろうか。

 どのような言説が権力をもつ政治家の SNS で言われているのかといえば、しっかりとした内容をもった言説が言われているのではなくて、大したことのない内容や中身のことが言われることが少なくない。しっかりとした内容をもつ言説を言うのには SNS はあまりふさわしい場とは言いがたい。どちらかといえば SNS は気軽な言説を流す場であり、それをするのに向いているところがある。

 かたくるしいことを言ってしまうのはあるが、しかるべきところでしかるべきことを言うことが大切なのがあるから、政治家がしっかりとした内容をもつ言説を言う場として SNS ははたしてふさわしい場だといえるのかをあらためて見るようにしてみたい。SNS にかぎらず、たとえテレビに出て権力をもつ政治家が発言をしたとしても、多かれ少なかれ偏向がおきてしまうのはまぬがれづらい。

 SNS でもテレビでもそのほかのところでも、権力をもつ政治家が用いる媒体は、国家のイデオロギー装置の性格をもつことになり、国家主義(nationalism)を強めてしまう危なさがある。SNS では権力をもつ政治家が力を持ちすぎてしまうことがおきてきて、たくさんのフォロワーがついてたくさんのいいねが押されることによって政治家のかんちがいが肥大化しやすい。政治家の自己欺まんの自尊心が肥大化することをうながしすぎるのがあるから、政治家がもつまちがった信念が補強されてしまうことはあっても、それがうまく補正や修正されることはのぞみづらい。政治家のもつまちがった信念が補強されつづけると認知のゆがみがどんどんひどくなって行く。

 参照文献 『「表現の自由」入門』ナイジェル・ウォーバートン 森村進 森村たまき訳 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信現代思想を読む事典』今村仁司編 『情報政治学講義』高瀬淳一 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『法哲学入門』長尾龍一 『哲学の味わい方』竹田青嗣(せいじ) 西研(にしけん)