抑制と脱抑制

 老いをよしとしない。日本の社会では、一般的にいうと若さがもてはやされる風潮が見られるような気がする。若いことに価値があるといったようなあんばいだ。しかしいっぽうでは、老いることもそれほど悪いことではないといった意見もある。気の持ちようのところもあるし、何よりも前向きな気持ちをもつのが大切なのである。

 歳をとったり老いたりすることで、楽になることもある。若いころをふり返ってみると、まわりがあんがいよく見えていなかったために、むやみにもがいてしまっていたこともある。もしもうちょっと視野が広ければ、下手にあがくこともいらなかったところがあるなと思い当たる。

 幼態成熟(ネオテニー)なんていうものもあるそうなんだけど、体はともかく、心のなかはまだ若いころの傷なんかをずっと引きずってしまっていることもある。その傷が浅くはないがために、長引いてしまっているのだ。歳をとっても、その傷は自然と癒されはしない。だから、楽にはなれないのである。内面において、いつまでもつきまとうようにして、しつようなふうになってしまっているとやっかいだ。

 生きているなかでは、いつも前向きでいられるわけではなく、ときには後ろ向きになってしまうこともある。そんなに強い人ばかりではないだろう。前向きに老いを肯定するのではなくて、アンチ・エイジングとして、率先して若さを少しでも保ったり取り戻そうとすることも悪いことではない。それで生きる意欲が少しでも高まるのであればけっこうなことだ。

 あらためて見ると、エイジングっていうのはいい言葉だなあと感じた。これは時を経てしだいに成熟してゆくことをさす。亀の甲より年の功なんていう言い方もあるから、誰しもだてにただ歳をとってゆくわけではないだろう。われわれは、たとえ放っておいても、心身ともに自然とエイジングしてゆくものなのではないか。

 必ずしも老いというのが悪い意味をもっているわけではないということができる。ただ、なかには時を経ても落ち着くことができづらい場合もあり、暴走老人などとして言われることもある。この言い方は、高齢者の人に失礼なものではあるから、あまり用いるべきではないだろう。暴走とはいえ、人に物理的な危害を加えるのでないかぎりは、覇気がある証拠である。今の世の中ではかえって貴重であるかもしれない。

 あんまり歯切れのよい結論とはいえないかもしれないけど、角が取れるという意味でエイジングされるのもよし、また逆に血気に満ちあふれているべくアンチ・エイジングするのもよし、といったところはあるかな。どちらの面をも合わせ持っていたほうが無難ではあるだろう。