首相の代えとなる人がほかにいるかどうかと、首相との距離感がとれているかどうか

 いまの首相にとって代わる人はいるのか。めぼしい代えとなる人はほかにいるのか。そう言われるのがある。

 いまの首相の代えとなる人はほかにいるのかについては、比較によって見るものだが、それとは別に、首相との距離感がとれているかどうかがある。

 首相との距離感がとれていないと、首相のことをつき放して見ることができづらい。あるていど距離をとっていないと対象をとらえることができないのがある。

 持ち上げるのと持ち下げるのでは、持ち上げるのは距離感がとれていず、持ち下げるのは距離感がとれている。あまり持ち上げすぎてしまうと距離感がとれなくなってくる。

 民主主義の仕組みでは、あまり下手に政治の権力を持ち上げすぎないようにして、距離感がとれなくならないようにすることに眼目があるものだろう。それをしないで、政治の権力を不用意に持ち上げて、距離感をとらないようにすると、民主主義から離れて行く。

 つり合いをとるためには、政治の権力を持ち上げすぎないようにして、距離感をとるようにして、専制化や権威化することをいましめて行く。専制や権威に横すべりして転落するのを防ぐ。たえずそう努めて行くことがいる。

 いまの首相の代えが見あたらないのは、首相が持ち上げられすぎていて、距離感がとれなくなっている見こみが低くない。

 経済の株価では、上がった株は下がるものだから、それと同じように、持ち上げられたものは持ち下げられる。その波動がおきることがあるから、持ち上げられっぱなしということはあまりなく、どこかで転換点がおきることがある。

 経済の株価では、株が上がっているのだとしてもいずれ下がることが多い。上がっていてもそれはバブルにすぎないことがある。それと同じように、政治の権力でも、持ち上げられすぎていて距離感がなくなっていることで、うわべではうまく行っているようでいても、じっさいにはそうではなくて、バブルがはじけるようにいずれ持ち下げられることになることがある。

 民主主義の仕組みでは、経済でおきるようなバブルをいかにおきないようにさせるのかがある。バブルはじっさいのありようを忠実に反映しているものではないから、上がったものは下がるのがあり、上がっているのは下がることのフリになっている。そのフリのきき方が大きすぎると、あとで反動が大きく出てくる。フリがききすぎていて反動が大きいと危ないことになる。その危なさを小さくするのが民主主義の知恵だが、いまの首相による政権はその知恵をいちじるしく欠いている。ぜい弱性を抱えている。きびしく見ればそう見られるところがある。

 参照文献 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一 『民主主義の本質と価値 他一篇』ハンス・ケルゼン 長尾龍一、植田俊太郎訳