ウイルスの感染に対応して行くことと、定性と定量の情報―情報の汚染

 三七.五度より以上の発熱が四日間ほどつづいたら、新型コロナウイルスのうたがいがある。そうしていたが、それがよくないものだったのだとして、厚生労働省はこの目安を削除することを検討しているという。

 ウイルスへの感染に対応するのにおいて、はじめからいままでとられていた三七.五度より以上の発熱が四日間という目安は、反証された形だ。そこに誤びゅうがあることが見つかった。

 三七.五度より以上の発熱が四日間という目安は、まだ数値で定量で示されているからわかりやすいのがあるが、これは客観というよりは主観の数値だったことがわかり、採用がとりやめられることになった。

 たとえ数値で定量で示されるのだとしても、それがあてにならないものなのだとしたらよいものではない。そうしたものの具体の例としては政権の支持率がある。支持率を調べるのでは本当にまともにたずねているのではなく、ごくかんたんにしか問いたずねていないだろうから、そんなに当てになるものだとは見なしづらい。

 政権の支持率は誰がいまテレビなどで目だっているのかの人気や知名度を調べるようなところがあるから、そこまで当てになる数値とは言えないのがある。うわべや見てくれやテレビ映りなどによるのではなくて、ほんとうの実態のありさまを十分にくみ入れれば、色々に支持率の数値は変わったり動いたりして行くものだろう。数値をどう受けとるのかの、情報の活用能力があれば、そのまま情報をうのみにすることを多少は避けやすい。

 数値を用いずに、定性の雰囲気で何となくものごとを決めてしまうのだと、ウイルスへの対策を行なうので客観性に難がおきてくる。数値の定量を用いるのでも、それが政権の支持率のようにあまり当てにならない主観のものであれば、そこに誤びゅうが含まれているおそれがおきてくる。あとになって反証されかねない。そうしたことを避けて、情報の活用能力を十分に持っている中で、できるだけ客観の数値によってものごとを進めて行く。そうしたほうがわかりやすくなることが見こめる。

 数値を用いないで、定性の雰囲気でものごとを決めてしまうのは避けたいところだ。それを避けて数値を用いるにしても、当てにならない主観の数値が使われるのだと客観性に難がおきてくる。情報の活用能力を少しでももつようにして、発信するさいには少しでも客観の情報を示すべきだし、受けとるさいには批判として情報を受けとって行くことがのぞまれる。

 客観の情報とは、できるかぎり情報が汚染されていないものである。それが理想ではあるが、現実の日本のいまの政治では、汚染された情報が少なからず流されてしまっている。その汚染がおきるのは、いまの政権がいい加減なものごとの進めかたを(これまでと同じように)しているからだろう。

 情報が汚染されているのがあることで、客観の情報をのぞみづらく、定性の雰囲気のものや、主観のものが流されることになる。そう見なせるのがあるが、そうではなくて、十分に客観な汚染の度合いの少ない情報が多く流されているのだとすれば理想的だ。

 参照文献 『情報汚染の時代』高田明典(あきのり) 『反証主義』小河原(こがわら)誠