官房長官の記者会見に見られるおかしさ―まともに答えるよりも、政権を保つことが優先されてしまっている

 いまの与党の官房長官が、記者との記者会見を行なう。そこで官房長官が答えているものが、とんちんかんなものが少なくないように見うけられる。意味がよくわからないのだ。

 官房長官の記者会見というのは、記者が質問をして官房長官が答えるものとなっている。問われて答えるというものだ。問題と答えと言ってよい。

 問題というのは大べつすると二種類あって、くわしい人(専門の人)によって答えられるものと、答えが一つには決まらないものとがある。

 その道にくわしい人が答えられるものなのであれば、その道にくわしい人が答えればよいことであって、それをなぜか官房長官がとんちんかんな答え方をしていた。これは、官房長官が問題のちがいを分けて見られていないことによっているのがある。へんにいっしょくたにしていて、官房長官が何でも答えるというおかしなあり方になっているせいだろう。

 官房長官が何にでも答える(答えられる)というおかしなあり方になっているせいで、答えられないものについても答えてしまっているし、それがへんな答え方になってしまっている。そのせいで記者と官房長官のやり取りが意味が不明なものとなっている。

 官房長官の記者会見が、いまの時の政権がものごとをはぐらかすためのものになっているので、目的がおかしくなっていて、目的が喪失されている。いまの政権による官房長官は、自分が効力感があるということでやっているから、それがために効力感ではなくて無力感があらわになることがあって、自分で自分の首をしめてしまってはいないだろうか。

 くわしい人が答えられる問題なのであれば、くわしい人が答えるのが理にかなっている。たとえばパソコンなどの機器のことであれば、それにくわしい人が答えれば一番よい。それをなぜかそれにくわしくもない官房長官が答えることから、おかしなことになっている。官房長官がわかっていないということがあらわになることにしかなっていない。

 何にでもくわしい人などいるわけがないのだから、官房長官が色々なことについて的確に答えられるのだとは見なしづらい。くわしい知識が求められるさまざまなことについて、それにまんべんなく適した答えを出すということの、適任者だとは言いがたいのがある。

 記者から問いかけられたさいに、その問いかけにたいして、これが適した答え方だというのがある。中には答えがないようなものもあるだろうが、いちおう答えがあるとして、ふさわしい答えというのにできるだけ近づかなければならない。それを、ふさわしくない答えに近づいて行ってしまってどうするのだろうか。いったい誰の益になるというのだろうか。いまの政権の官房長官は、ふさわしくない答えに近づいて行っているのが少なくない。ふさわしい答えから遠ざかっているのが目だつ。

 いまの政権の官房長官は、記者会見の中で、記者からの問いかけにたいしてふさわしい答えを答えるのではなくて、政権にとって都合がよいように答えてしまっている。なので、官房長官が答えることは虚偽意識におちいっている。虚偽意識で答えても、広く国民の益になるとは言えそうにない。

 国民に広く益になるように答えるということよりも、政権にとって都合がよい答え方を優先させてしまっていて、政権を保つということが自己目的化している。政権を保つというのが自己目的化していて、ほんらいの目的である、国民に広く益になることをするということが失われてしまっている。それで、まともに答えることがなくなっていて、虚偽意識におちいりっぱなしだ。

 官房長官の記者会見には、それそのものにけっして小さくはない問題があるように見なせるのだが、その問題をほうったらかしにしつづけたままで、会見を開いて行ってもあまり意味がありそうにない。問題を見つけて行って、主となる要因は何かを見ていって、それに手を打つことがなされればよい。

 アメリカには、政権の中で、報道にたずさわる役目として報道官(press secretary)や大統領補佐官(assistant to the president)というのがいるという。日本にはそれがなくて、官房長官がになうことになっていることから、無理がおきているのだとおしはかれる。アメリカを見ならうとすれば、日本にも報道官を置くなどの手を打つことができるだろう。そうすれば、官房長官にやるべきことが集中してしまわずに、分散させられることが見こめるから、とんちんかんな答え方がたしょうは減るかもしれない。あわせて、閉鎖性のある記者クラブ制度というのも改めるようにして、広くさまざまな記者に開放することもあったらよい。

 参照文献 『情報政治学講義』高瀬淳一 『論理パラドクス 論証力を磨く九九問』三浦俊彦 『哲学を疑え! 笑う哲学往復書簡』土屋賢二 石原壮一郎