日本で行なわれた G20 における、主催した日本によるおもてなしや客迎えのはきちがえ(できていなさ)

 日本の大阪府で開かれた G20 では、韓国の大統領はやや冷たいあつかいを受けていた。韓国だけ、日本からやや冷たいあつかいをされていたのだ。

 テレビ番組の報道では、日本から韓国が冷たいあつかいを受けているということで、それ見たことかといったような報じ方をしていた。それとなく、いい気味だといったような報じ方をしていた。

 日本の首相は、韓国の大統領と会談をしなかった。ほかの国の首脳とはたくさん会談をしたのにもかかわらずだ。日本は、韓国をのけものにしようとした。いまの与党である自由民主党は、それによって、日本の国内にいる自党の支持者にアピールを行なったと見られる。

 G20 が終わったあとに、アメリカの大統領は韓国や北朝鮮を訪問した。電撃的に、アメリカと北朝鮮と韓国の首脳が三者で会い、会談をしたのだ。日本はこのことを知らされていなかった。

 日本はあわを食ったというか、しっぺ返しを受けたというか、色々なぼろが透けて見えてしまった。アメリカと日本の首脳は蜜月だというのや、お互いにぴったりと一致しているというのは、本当だとは言いがたいことがあらわとなっている。

 国益という点でいうと、G20 において、日本は韓国を冷たくあしらうのではなく、温かく迎えるようにして、会談を行なうべきだった。それで少しでも交流を深めて情報をとり入れる努力をするべきだった。そういうことがふり返ってみれば言えるのではないだろうか。

 日本は韓国を冷たくあしらい、のけものにするようなことによって、日本の国益を損なうことになった。自民党は、国内にいる自党の支持者に向けてアピールをするような姑息なことはせず、日本の国益ということをふまえて、韓国と敵対するのではなく協調するように動けばよかった。それがおもてなし(ホスピタリティ)ということではないだろうか。

 日本は G20 において、客迎え(ホスピタリティ)ということをはきちがえてしまった。客迎えというのは、敵対する国などを軽べつすることではない。敵をつくらず、(対立はありつつも)協調をして行こうとするものである。第二次世界大戦や太平洋戦争の大きな失敗の歴史は、おもてなしや客迎えの意味あいを示している。それを欠くのなら、同じ失敗をふたたびくり返してしまいそうだ。

 参照文献 「排除と差別 正義の倫理に向けて」(「部落解放」No.四三五 一九九八年三月)今村仁司