韓国の人の交渉術に見られる要点というよりは、日本におけるいまの首相による政権に見られる詭弁術や強弁術(の一部)と言ったほうが腑に落ちやすい

 韓国の人の交渉術には三つの要点がある。一つ目は、強い言葉で相手を威圧する。二つ目は、周囲に訴えて理解者を増やす。三つ目は、論点をずらして優位に立つ。韓国の文化をよく知るという産経新聞の記者はこう言っていると、テレビ番組の出演者はテレビ番組の中で紹介していた。

 テレビ番組の出演者はこれを紹介して、韓国人には一般的にこうしたところがあると言い、これが韓国の国に当てはまるかどうかは確かではない、と断りをつけていた。このテレビ番組の出演者の言うことにはうなずきづらい。

 かりに言うのだとすれば、韓国の国や政府は交渉術として時にずるいことをやるかもしれないが、国民にはさまざまな人がいるのだから、国民の一般にはそれは当てはまらない、と言うべきではないか。まず配慮するべきは、韓国の人が一般としてこうだと言ってしまわないようにすることがいるが、それをテレビ番組の出演者はテレビ番組の中で平気で言ってしまっているのはいただけない。

 韓国人の交渉術ということだが、交渉というのが具体としてどういったものなのかがあいまいだ。交渉というのを、紛争(もめごと)の解決というふうに限定するのだとすると、そこでおだやかな話し合いが持たれるとは言えそうにない。交渉が決裂することもある。どの国の人にかぎらず、力と力がじかにぶつかり合うものだろう。きれいな手ばかりが使われるものとは言いがたい。こうしたことは、どこかの国にとくに当てはまるものではなくて、どの国であっても行なわれるものだ。

 韓国のことは置いておいて、日本において心配なのは、いまの首相による政権のおかしさだ。韓国人の交渉術の要点とされることが、そのまんまいまの首相による政権にそっくり当てはまる。虚偽意識(イデオロギー)のかたまりのようになってしまっている。

 韓国がどうとかこうとかをまったく言うなというのではないが、それよりもまず先に、日本に目を向けて、いまの首相による政権のでたらめを正すことを先に行なうようにしたい。これをそのままにしておいて、他国である韓国のことを言う資格があるとは個人としては見なしづらい。

 論点ということで言うと、韓国が論点をずらしているというよりは、そもそも論点の定め方がおかしい。論点を定めるのが正しくできていない。韓国と日本とのあいだのことで言うと、正しい事実をともに協力し合って見て行くとか、もめてしまっていることを少しでも解決して摩擦を減らして行く、などといった大きな論点をとれる。

 韓国に不信をもつのではなく、信頼するようにして、お互いに価値(主たる目標)をすり合わせて行くことがいる。たやすくできることではなく、難しいものではあるが、大きな論点としてそこまでまちがったことではないだろう。

 韓国の言うことややることのおかしさをとり上げているのに、そこに日本におけるいまの首相による政権を持ち出すのは、論点をずらしたりごまかしたりしているように映るかもしれない。(お前もそうだろという)人に訴える議論になっているのは確かだ。

 それについてはむしろ逆で、日本におけるでたらめさをごまかすために、韓国のおかしさが持ち出されて、韓国のことを悪玉化していると見られる。そう見られるのがあるのだから、論点をずらさないようにして、日本におけるいまの首相による政権のおかしさやでたらめさをきちんととり上げて、正すようにすることがいる。そうしないと、いまの首相による政権(と役人)の言うことややることを信用できず、嘘を平気で言うことが行なわれてしまう。韓国がどうとかという話は成り立たなくなる。日本におけるいまの首相による政権(と役人)こそがおかしいからだ。言っていることをそのままうのみにすることはできそうにない。

 参照文献 『論点思考 BCG 流問題設定の技術』内田和成 『信頼学の教室』中谷内一也