国会などの政治の仕組みを変えるべきだという与党の議員の発言には、賛同できるところがある(大幅に変えるというのではないとしても、微調整はあったらよい)

 野党が悪いのではない。悪いのは国会の仕組みである。このままのあり方の国会をつづければ、どこが野党や与党になっても同じようなことをやる。時間と税金と議員の無駄づかいになっている。これをそのままにするわけには行かない。自由民主党の議員はそう言っている。これには個人としてはうなずけるのがある。

 自民党の議員は、国会の仕組みが悪いと言う。これには個人としてはうなずけるが、こう言ってしまうと、いや悪いのはいまの与党だ、というのが脇に置かれてしまう。国会の仕組みが悪いと言ってしまうと、いまの与党が行なっている悪さが脇に置かれてしまうことのまずさがあるのは確かだ。与党をよしとする人にとっては、いや悪いのは野党だ、と言うかもしれないが。

 自民党の議員が言っていることは、人間の性(せい)として見られる。この性はセクシャルの性ではなく、人間一般がもつ人間性という意味だ。性悪説性善説があるが、これは人間の性を善と見るか悪と見るかである。それらとは別に、置かれた状況によって善になったり悪になったりするという説がある。

 性善説は中国の思想家の孟子が唱えたという。性悪説荀子が唱えたという。それらとは別に、置かれた状況によって善にも悪にもなるとしたのは告子や韓非子だという。

 自民党の議員は、国会の仕組みが悪いと言っているが、これは告子や韓非子の言っている、置かれている状況を見るものに少しだけ通じるのだとすることができる。自民党そのものが悪だったり、野党が善だったりというよりは、どこが与党になってもいまの自民党に似たようなことをやってしまい、どこが野党になってもいまの野党と似たようなことをやってしまう。そうだとすれば、そうなってしまう要因に国会や政治の仕組みがあるとして、そこを改められればよい。

 時間と税金と議員の無駄づかいになっているという点にはうなずかざるをえない。これらは何によっているかというと、色々な要因があるだろうけど、一つには、与党である自民党のいまの政権が正しさ(適正さ)というのをないがしろにしていて、効率に走っているためなのがある。

 正しさが欠けた中で効率に走ると、時間や税金や議員がいちじるしく無駄になる。たとえば、国会の議論においてご飯論法や信号無視話法を与党が行なうのは正しくないが、これをすることによって時間や税金や議員の大きな無駄づかいになる。これについては主としていまの与党による政権が悪いと言うしかない。