入国管理局の近くの道路に落書きが行なわれたことを、紛争として見ることができる

 難民のとりあつかいのおかしさにたいして、声をあげる。それでスプレーによる落書きが道路に書かれる。東京入国管理局の近くの道路に、FREE REFUGEES という文句の落書きが行なわれた。

 この落書きは清掃して消し去られたが、この落書きはいけないことだとするツイートが、いまだに東京入国管理局ツイッターには掲げられているという。

 この落書きについて、紛争の視点から見ることができる。紛争には主体と手段と争点があるという。主体は、東京入国管理局と、スプレーで道路に落書きをした人だ。手段は、スプレーで道路に落書きすることだ。争点は、日本の難民などの入国管理において人権の侵害がおきていることだ。

 道路は公共物であって、そこに落書きをするのは、手段の適否の点からすると必ずしも適したものではない。手段としては適したものではないものの、あくまでも手段の話にすぎないのはたしかだ。紛争には三つの要素があるのだから、そのうちの一つである手段だけを見るのでは、全体を見ることにはなっていない。

 入国管理局は、手段の適否だけに話を矮小化するべきではない。それだけに話を限るのであれば、論点のごまかしである。争点となっているのは、日本の難民などの入国管理において人権の侵害がおきていることであって、ここに焦点を当てなければならない。問題の所在はここにあるのだから、ここに目を向けるようにして、できるだけ早急に改めることがいる。人権というのは、公の権力が勝手に個人からうばったり侵害したりしてはならないものなのではないだろうか。

 手段としてとられた、落書きの適否というのとは別に、その落書きによって何が言われているのかを見ることができる。それを見るのであれば、そこでは日本の入国管理において、人道に反することや人権の侵害が行なわれているのをさし示しているのが読みとれる。これが落書きによって言われているのにたいして、入国管理局はまったく聞き入れず、受けとめないというのは、個人としてはうなずくことはできない。聞き入れずに受けとめないのは、社会の中の差別や不正義をうながすことになるからだ。