明治を記念する式典と、それを批判する集会

 明治一五〇年記念式典がもよおされた。このもよおしは、いまの首相による政権がとり行ない、参加している。

 この動きに合わせて、それに批判の目を向ける(小さな)もよおしも開かれた。明治一五〇年礼賛式典を徹底批判する緊急集会と名うつもので、日本共産党などが行なったものだ。

 いまの首相による政権がとり行なった、明治一五〇年記念式典は、明治維新やそのごの歴史の流れをよしとするものだろう。これは、日本の国をよしとするような偏った歴史観に根ざしていると個人としては見られる。

 まったく例外もなくぜんぶが駄目だったというのではないだろう。ぜんぶが駄目なのではないが、明治維新とそのごの歴史の流れをとり上げるさいに、正(プラス)をとるので終わるのでは、偏ったとり上げかただと言わざるをえない。

 明治維新からそのごの歴史の流れでは、過剰性による動きが見られる。過剰性による動きによって、過大化と過小化の二つの対照をなすありようとなった。神州不滅とか神国日本として、神風の神話がとられたのが過大化だ。この神話が偽りのものになったのが過小化だ。この両極があるのを見るのがのぞましい。いまの首相による政権は、過大化だけをとり上げて、神話を復活させようとしている。こりていないのだと言うしかない。