国の借金や社会保障の問題意識をもっているのはよいことだが、行動がおかしいから、それを合理化することはできない

 日本の国は一〇〇〇兆円の借金をかかえている。ほんらいであれば、国は借金をするべきではない。借金をするのは悪いことであり、考えられないことだ。障害者施設で一九人の障害者の方を殺害した被告は、そう述べているという。接見した人に語ったものである。

 日本は社会保障に多額のお金をかけていると被告は言う。そのことから、日本は国として多額の借金をかかえることになった。ほんらいは、国として借金をするべきではなく、社会保障に多くのお金を使いすぎないようにすることがいる。そこから、障害者の方を殺害したことを合理化しているようだ。

 被告は、お金の問題に意識の焦点を当てすぎているのではないか。それでほかのものが軽んじられてしまっている。他者に物理の危害を加えないという具体の義務に反することをやるのは、国のお金の問題を持ち出すことによって肯定されるものではない。

 日本は社会保障に多くのお金を使っていると被告はしているが、これは現状の認識がまちがっているのではないか。社会保障に多くのお金が有益に使われているのであれば、もっと日本はみんなにとって住みよい国になっているはずだ。しかし現状はそうはなっていない。

 社会保障にはお金がかかることは確かだが、そこに重心があるのではなく、人々の悲惨さや不安をいかに減らすかが肝心だ。日本ではそこがきわめて不十分である。人々の悲惨さや不安が減らせていなくて、自己責任で片づけられてしまっている。日本は、社会保障が不十分な国であると言えるだろう。社会保障の貧しい国だと見ることができる。

 国が多くの借金をかかえているとしても、いっきにそれを減らすのはできるものではない。借金を減らして行くのだとすれば、少しずつ行なうようにしないと、国が全体として崩れてしまうことになりかねない。国が全体として崩れてしまえば本末転倒である。

 知的障害者に当たる方のことを被告は心失者だとして、心失者は人間ではないという。このように、人間と人間ではないものとを勝手に線引きするのはいただけない。人間が、人間ではないとされる者を勝手にあつかってよいものではないだろう。

 被告が心失者ではないとどうして言うことができるだろうか。被告もまた(被告こそ)心を失っていはしないだろうか。これは被告だけに限らず、いまを生きる人間に少なからず当てはまることではあるかもしれない。

 心失者は人間ではないと被告は言うが、人間と人間ではないとされるもののうちで、人間に当たるほうが改められることがいる。人間に当たるものの方こそが改められないとならない。人間に当たるものによる社会のありようが異常になっているところがあるのではないか。労働のあり方などを含めて、まっとうな社会とは言えないところが多くある。

 障害者の方を辺境に隔離して遠ざけるのではなく、社会の中にあるようにして、交流するのをうながす。誤解がおきないようにして理解を深めるようにして行く。一般の人間はそれによって学ぶことができるのが見こめる。一般の人間による社会の異常(アブノーマル)なところやまっとうではないところを改めることこそが大事であり、そこを正すことが大切だと見なしたい。一般の人間による社会は正常(ノーマル)だとは必ずしも言うことはできそうにない。