男性にあっただろう落ち度を矮小化してしまうのはいかがなものだろうか(努力義務をぬかりなく果たしたとはできづらい)

 性の被害にあった女性には、女性として落ち度があった。自由民主党の議員の人はツイートでそう言っているが、それにたいして、勇み足の発言だとする批判が作家の人から投げかけられている。勇み足だというのは、不用意なことを言うと、日本を攻撃する材料にされかねないということのようだ。海外の報道機関が日本を攻撃するための材料にされかねない。

 自民党の議員の人は、女性として落ち度があったというふうに言っているが、逆に、男性として落ち度があったということが言える。男性がなるべく落ち度のないようにして、手つづきをとることができていれば、性の被害はおきづらい。

 イギリスの警察は、性の被害をおこさないためのあり方を周知する映像をつくっている。その中では、性のやりとりを紅茶を飲むことになぞらえている。相手に無理に紅茶を飲ませてはならないし、相手が紅茶を飲みたい気持ちがあるのかを確かめることがいる。お酒が入っているときには、まちがいがおきかねないので、紅茶を飲むのはやめるようにしたほうがよいとしている。

 まちがいなく男性が性の暴力をふるい、性の被害を与えたのかというのは、確たる証拠がないのであれば、そうであると断言することはできそうにない。完全に有罪だとはできないのはあるかもしれないが、それとは別に、男性に落ち度がなかったとは言うことはできづらいのがある。まったく落ち度がないのをかりに数字で一〇〇であるとすれば、そこから減点されることになる。減点がなく一〇〇であるのなら落ち度はないわけだが、そうであるとは見なしづらい。

 男性に落ち度がまったくないのを一〇〇として、そこから減点で見るというのは、落ち度のないものは現実にはないというのがあるから、現実というよりも理想による論法ではあるかもしれない。理想としては一〇〇であることがのぞましいが、現実にはそれはできづらいのはあるとして、男性は点数を低めないようにして、少しでも高めて行くように努めることはできるだろう。無理難題というほどのものとは見なしづらい。

 性のやりとりというのは、男性にとって利益となるものがあるので、そこには相手に害を与えかねないという危険がつきまとう。それなりの(かなりの)利益と、それなりの(かなりの)危険さがある。お互いにとっての利益になるようにして、危険さをできるだけ減らすようにするために、手つづきをおろそかにしないようにできればよい。