所得が安定した公務員は政府からの一〇万円をもらうべきではないのだろうか―ひと口に公務員といっても色々な状況の人がいそうだ

 安定した所得を得ている公務員は一〇万円をもらうべきではない。新型コロナウイルスへの感染が広がる中で政府は国民に一律で一〇万円を配ることを決めたが、公務員はそれをもらうべきではないと元政治家は言っていた。

 公務員とはいってもその中には色々な人がいて、正規だけではなくて非正規の公務員もいるのではないだろうか。非正規の公務員は日ごろから十分な所得を得ているとはいえないから一〇万円をもらうのにさしつかえがあるとは言えそうにない。すべてではないにせよ、日ごろからたいへんな仕事をしている公務員もいるだろうから、そういう人たちが一〇万円をもらってはならないとは言い切れそうにない。

 一〇万円をもらわないようにするのではなくて、一〇万円はしっかりと(当然のこととして)もらっておいて、それをどのように使うのかがかぎだ。そうした声が言われている。もらったお金を賢く使えばよい。この意見には一理あるのでうなずける。

 もらうべきではない人が一〇万円をもらわないようにする。元政治家はどちらかというとこういう意見だ。この意見には欠点はないのだろうかというと、あるにはある。一〇万円をもらわなかったとしてもどのみちいまの政権がおかしなことにお金を使う。だったら一〇万円をもらっておいて自分で賢く使ったほうがよいというのである。これは政権の愚かさをくみ入れたあり方だ。

 一〇万円をもらわないようにするのではなくてもらっておいて自分で賢く使う。これはまちがいなくのぞましいものかというと、そうとは言い切れそうにない。非の打ちどころがないくらいによいものだとまでは言えないだろう。必ずしも効率性が高い配分のしかただとは言いづらいし、公平性がきわめて高いとも言いづらい。色々な説があるものの、国の財政の赤字が増えてしまうことになる。

 政権がかりに愚かだとしても、国民ははたして賢いのかという問題も残る。一〇万円をもらって国民のみなが賢い使い方をすることはのぞめるのだろうか。政権と国民を比較すると、政権は劣で国民は優だとまちがいなく言い切ることができるのかは定かではない。政権が(部分的にはよいとしても)おしなべて優だというのはちょっとありえづらいのはあるが、国民が優つまり賢いというのは、何をもってしてそう言えるのかがある。

 国民が優で賢いというのは、(いまの国民のことを)あとからふり返って未来の国民が決めることだろう。未来の国民とはいっても、それそのものがいなくなることもないことではないが。これまでの国民やいまの国民が賢いのだとは個人としてはちょっと見なしづらい。というのも、国民が利益の先食いをしているのがあるからだ。赤字の国債の発行などで未来の利益を先食いしてしまっている。これは資源の浪費や環境の破壊をふくむ。このことについてはほかの楽観の見かたもあるから絶対にそうだというのではないかもしれない。

 経済を少しでも回すためにお金を使うことが賢いことになるのか、または困っている人にお金を回すようにすることが賢いことに当たるのかを改めて見て行ける。経済を回すためにお金を使うことでは、ある点においては確かに賢いしよいことではあるが、別の点ではまたちがってくるとも見られる。

 一〇万円というのは物質だが、物質にかたよるのではなくて、精神によるところを無視することはできそうにない。生活に困ることになるのは、たんにお金が足りなくなることだけを意味するものではなく、その背景には差別や偏見の価値観が関わってくる。物質も大事ではあるが、それだけではなくて、精神の差別や偏見をなくすこともそれと同じかそれより以上に大事だから、そこがなおざりになったままだと、一〇万円の有効性はあったとしても一時的なものにとどまることになりかねない。

 一〇万円を配る政策は悪いものではなく必要なことではあるにしても、そこに何の欠点もないと言い切ることはできづらく、プラスもあればマイナスもあるとすると、どのくらいのプラスがあってどのくらいのマイナスがあるのかがある。小さいプラスと大きいマイナス(国の財政の赤字など)ということももしかするとないではない。これについては国の財政の赤字はまったく問題がないまたは小さい問題でしかないという説もあるから、その説が正しければマイナスはゼロかまたは小さいものでしかない。

 生活に困る人がおきることの問題の所在はどこにあるのかというと、たんに物質(お金)が足りなくて困ることになるのだけではなくて、そこには精神の偏見や差別の価値観が関わってくる。それを改めるのが少しでもあったらよいし、社会の中で多様性や多元性が少しでもあるようになったらよい。物質と非物質では、むしろ非物質のほうに問題の所在があるのだと見なすこともできないことではないだろう。

 参照文献 『事例でみる 生活困窮者』一般社団法人社会的包摂サポートセンター編