文明による情報の記録とその保存がある(それらの一つひとつをないがしろにして、一方的に主張をするのは、文明に逆行するところがある)

 文明は記録することである。情報を記録して、それを保存して蓄積する。文明をうながすのは、情報を記録してそれを保存や蓄積して行くことである。情報が記録されていることや、それが保存や蓄積されているのは、文明がはたらいていることをあらわす。その逆ではない。

 いざというときに、記録されたものよりも記憶のほうが優先されるのは、おかしいことだと言わざるをえない。記録されていることを見るのがまず筋だろう。記録されていることは存続性が高い。その内容が必ずしも完ぺきに正しいとは言い切れないのはあるが、いい加減なものでないかぎりは、軽んじられてよいものではない。

 記録されたものには存続性があるのであり、それなりの手つづきによってつくられているのであれば、きちんと受けとめるようにすることがいる。記憶には忘却がつきまとうものであり、短期記憶(作業記憶)として失われてしまいやすい。それに抗うために記録しておく。せっかく抗うために記録しておいたものを、受けとめることがないのであれば、何のためにやっておいたのかがわからない。

 記憶したことは改変されやすいのがある。頭の中でつくり変えてしまう。それに抗うために、記録として残しておく。もし記録されていることが受けとめられることがないのであれば、頭の中で記憶を改変するのに抗うことができない。頭の中で記憶を改変することを許してしまう。

 記録されてあるものは、一次テクストだということができる。この一次テクストは、頭の中にある記憶よりもより頼りになるものだということができる。絶対にまちがいなく内容が正しいということにはならないだろうけど、そうかといって、まったくまちがった内容だとも言えないのであれば、たしかに読みとることがいる。一次テクストを読みとるのは、いい加減であってはならず、決めつけてもいけない。先見や予断をとらないようにして、虚心によってじかに読みとるようにしないとならない。先見や予断をあえてもつのは、うのみにしないための批判的受容の視点としてはよいかもしれない。

 文明が残してくれた、記録された情報がある。いろいろな断片や切片としてそれが残されている。それらの一つ一つを見て行くことがいる。あるものは受け入れて、そのほかのものは受け入れないというように、恣意であるようだとのぞましくない。偏っていないものさしによるようにする。

 文明の中にいる人間が、自分のあと(trace)を残していったのがある。それをたどって行くようにする。消されてしまったあともあるわけだけど、そうではないあともあるので、ここにあとがあるというふうにさし示す。重要な手がかりとなるようなあとかもしれないのだから、そのあとがここにあるというふうに指し示して、見つけるようにする。ふたをしてふさいでしまってはならない。ふさいでいるふたを引っぺがさないとならない。

 文明を大切にすることがいる。非文明にはならないようにする。そうするためには、あとになって使えるように情報を記録するようにして、それを保存するようにする。記録された情報というのは一つの資源である。この資源を使うようにするのがのぞましい。資源を使わないで、そのまま放ったらかしにしておいて、うまくことを運ぼうというのはちょっとおかしい。虫がよいものである。

 もともと人間は文明の中にいるのであり、それはすでに分かりきっていることなのだから、それを見こしたうえで色々なことをするべきである。文明が進んで行くことにより、政治などについての秘密の部分が少なくなっていっている。秘密をもちづらくなっている。それはよいことでもある。政治家の人が影に隠れて悪いことをしづらい。

 時代の流れを無視して、まだまだ影に隠れて悪いことができるのだというかん違いをもつとしても、それはじっさいには通用するものとは言いがたい。そのかん違いは通用するものではないのだと、できるかぎり早く見切ってしまわないと、損害が大きくなってしまう。できるかぎり早く見切ることをして、(政権与党は)観念するほうがのぞましい。見切り千両とも言われるくらいだから、見切るのが遅くなれば遅くなるほど、損害は大きくなってしまうような気がしてならない。

 文明のはたらきは、必ずしも目的論によるものではないものだと見なせる。目的論によるのであれば、いまの政権与党をそのまま受け入れて、これからも続けるのをよしとすることができる。しかしそうではなくて、目的論をとらないことができる。これは一見するとちょっと意味がよくわからないものかもしれないが、文明によってつくり出された過去の情報の堆積を、改めて掘りおこす。そうしたことをするものである。今が今である必然性を揺るがして、偶然性をあばき出す。もっとちがった今があり、未来があるというふうに複数にすることにつなげられる。