もともと、日本のものであるのかはあやしい

 盗んだ海老を食べさせる。この盗んだ海老とは、日本の側から見てということである。日本では竹島といっている島を、韓国では独島と呼んでいて、その名前を冠した独島海老をふるまう。韓国を訪れたアメリカのドナルド・トランプ大統領の晩餐の席で出された食材のなかの一つである。

 竹島(または独島)は、日本の文脈からすれば日本の固有の領土としているわけだけど、韓国には韓国の側の文脈があることもたしかである。実効支配をしているのはいちおう韓国だから、盗んだというのは当たらないのではないか。領土について、人の集団どうしがもめているのがあるわけだけど、それとは別に、そもそも島は誰のものでもないだろうし、(海で泳いでいた時点では)海老も誰のものとも言えないのがある。

 トランプ大統領をまねいた晩餐会の席では、従軍慰安婦の被害者の人が席を共にしたという。これについては、戦前や戦時中に日本が朝鮮半島を植民地として支配していたことにからむ問題である。戦争のさいに、性暴力の被害を受けたとされることについて、歴史の事実もふまえて、できるだけ誠実に対応できたらよさそうだ。

 日本を主体とすれば、韓国は客体である。主体である日本から見て、客体である韓国に負の面を押しつける。こうなってしまうとやっかいだ。というのも、主体と客体の関係は反転ができるからである。韓国を主体とすると、日本は客体となり、客体である日本に負の面を押しつけられる。

 関係主義からすると、主体と客体とはそれぞれに実体ではなく、関係することによっている。固定したものとは言えない。主体と客体とのあいだの境界線(分類線)は、揺らいでいると見なせる。仏教の禅では、主客未分の本来の面目というのが言われているそうだ。これは、主と客との二つに分かれてしまう前の、一のありようをさす。一とは、記号で媒介されていないようなものである。記号で媒介されることで、二となり、置換(リプレゼンテイション)される。

 主体はまったく悪くなく、客体がすべて悪いとしてしまうのではなく、主体にもまた悪い面があるとできたらよさそうだ。主体をまったき善とするのは、主体がもつ負の面の末梢であり隠ぺいとなりかねない。