とにかく選挙で受かりさえすればそれでよいという政治の志の低さが見てとれるような与党のあり方―数さえ多ければよいという理性の退廃(道具化)

 選挙の中で票を得るためにお金を配ることがうながされる。選挙で受かるためにはお金を配ることがないと駄目だとされる。党としてそれが言われていたのだということが、まえに自由民主党に属していた複数の人から言われていた。

 まえに自民党に属していた人がテレビ番組やラジオに出て、自民党が党として選挙で有権者にお金を配ることをよしとしていたことが明らかにされた。じっさいに有権者にお金を配ることがおきているのがあるから、それなりの信ぴょう性はあるだろう。

 自民党が党として選挙で有権者にお金を配ることをよしとしていたことについてをどのように見なすことができるだろうか。それを見なすさいに、自民党が政治についてをはきちがえているのがある。

 自民党が政治においてお金をたよりにしていることからは、とにかく選挙で受かりさえすればよいとしていることがうかがえる。選挙で受かってしまいさえすればそれでよい。そのための手だてが少なからず汚くてもかまわない。法の決まりに反していたとしてもよくて、そのごまかしはそれなりにきく。自民党に追及の手がおよばないようにしてしまう。もみ消し、ごまかし、うやむやにして、目をくらまし、煙にまき、開き直る。

 自民党が選挙で受かることが、自民党においては目的とされてしまっている。自民党にとってはそれが目的として大事なのはあるだろうが、そのさいに用いられる手だてにお金を配るというのを用いるのはのぞましいことではない。きれいな手だてではない。

 自民党さえよい思いをすればそれでよいというのは、自己中心化がすぎるものだ。ほかの党などはどうでもよいのだとしている。自党のことを中心化しすぎている。自党をよしとすることがはなはだしすぎることで、自民党そのものが党として虚偽意識と化す。

 自民党が党として虚偽意識と化すのにくわえて、きれいではない汚い手だてを使うことによって、不祥事のかたまりとも化す。きれいではない汚い手だてを使うことによって不祥事がおきて党としてうみを抱えることになる。そのうみを外に吐き出せないままになってしまっている。

 たとえ選挙で受かりさえすればそれでよいとするのだとしても、党として虚偽意識と化してしまってはしようがない。党として不祥事のかたまりになってしまっては内にうみがたまって行くばかりだ。それを外に吐き出せないのは、自浄作用がないからだ。党として頭ばかりが高くなって行く。

 自民党が党として選挙で有権者にお金を配ることをよしとしてうながしていたのであれば、民主主義におけるふさわしいあり方だとはとうてい言うことはできない。きびしく言えばそう言うことがなりたつ。自民党が民主主義からかけ離れて非民主主義になってしまっている。そこを改めるようにするのとともに、日本の社会の中で色々におかしいところを一つひとつ民主化して行く。それをすることをはばんでじゃまをしてしまっているのが自民党であるように映る。

 参照文献 『政治家を疑え』高瀬淳一 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編